マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

激しい雷雨の中

2006-05-24 23:12:31 | 教会の風景
夕方から激しい雷雨に見舞われた。
音の感じからすると、どこかに落ちたんじゃないかと思う。
すぐに止むかと思ったが、なかなか止まなかった。
折り悪く、「何時に教会に戻りますか?」と宅急便から電話が入った。
祈祷会のテキストの途中だったので、とりあえず6時に約束をした。
それまでに雨も止むかなーなんて期待もした。

しかし、時間が近づいたので、雷と激しい雨の中だが出かけようとした。
でもドアを開けてみたら、急に気持ちがひるんだ。
配達の担当者の携帯に電話をかけ直し、6時半にしてもらった。
それまでにテキストの準備も何とか仕上げた。
まだ雨も止まず、時々空がピカッと光っている中、教会へ向かった。
濡れることは分かっているので、サンダル履きで行った。

さて、祈祷会の時間を迎えた。
今日は天候のせいもあり、スタートは4人だった。
雨は強い。雷もまだ鳴っている。
でも、ポツリポツリと後から加わってきた。
結局、10人くらいになった。
こんな雨の中、みなさんよく集まってくれましたという感じ。

賛美は聖歌を3曲。
聖書朗読。今晩はヨハネの福音書5章を輪読。
祈りの課題を挙げてみんなで祈りの時。
その後は学び。
今日は「なぜ恵みはすべてを変えるのか」の第3章。

* 神様は特別な人だけを用いるわけではなく、平凡な人も用いられる。
* 天国はすべての人が平等。
* 恵みによる選び。
* パウロ(サウロ)を生まれる前から選んだ主。
* 恵みによって選び、主はその人にふさわしい仕事を任せる。
* 自分の弱さや失敗に対しての落胆と失望という罠に気をつける。
* 私たちが委ねるとき、主が強い御手で完成してくださる。

ダイジェストは以上のようになる。

その後、ティータイム。
コストコのアップルパイ。おいしかった。
話が弾み、ついつい遅くなる。
今日から家にステイする名古屋のFちゃんが来た。
高速バスで、この悪天候の中、東京へ来てくれた。

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教会の問題

2006-05-24 16:06:13 | 神学校・講座
今日も午前は神学校。
教会史と旧約通論の講義があった。小テストは両方ともできた。
あと自分のボックスにルカの福音書のレポートが返却されていた。
Aの評価を頂いたが、多分甘くしてくれたのだと思う。
前回のマタイの福音書のレポートより出来は良くないと自分は思う。
作成のためにかけた時間も前回より少なかった。
前回より手抜きになってしまったことは否めない。

教会史は2-3世紀の教会のことを学んでいる。
前回の続きから話が始まった。
教会は、外に迫害、内に異端という問題を抱えていた。

当時教会の中に発生した問題で、モンタヌス運動がある。
形式主義と組織化に反対して起きた。
しかし、熱心になるあまり、極端に行き過ぎた。
聖霊と再臨の教義を強調し過ぎた。
結局、逆の極端に走り、指導者モンタヌスが語ったことは、聖霊が使徒たちを通して語ったことと同等の権威があると主張した。
しかも、天国はフリギヤ(モンタヌスの拠点)に建設されるだろうとまで言った。

次に、単一神論。イエスの神性を認めない。
神が唯一のお方であることを強調しすぎて生まれた。
イエスを善人としては認めるが、神であるとは認めない。
機械的単一神論とも呼ばれる。
アンテオケの監督であったパウロスという人物が提唱。

サベリウスという人が提唱したもう一つの単一神論。
これは非常に微妙なところで、現代の福音派の中でもこれに近い教え方をする教会もある。
それは様態の三位と説明される。
あるときは父として現れ、あるときは子として、あるときは聖霊として現れると説明する。三つの人格があることを否定する。
分かりやすい説明として、水を例に挙げられた。ある条件下で氷、またあるときは水、また水蒸気にもなる。一つの物質でありながら、様態が変わる。
説明は簡単だが、これで三位一体を説明したことにはならない。

父、御子、聖霊がそれぞれ人格をお持ちでありながら、唯一の神であるというのは確かに人間の理解には収まりきらない。矛盾するようだ。
しかし、本来聖書が示す三位一体はそれであると信じている。

今回、現代の教会が抱えている問題は、新しいものではないと教えられた。
教会は、その歴史の初めから内側にそのような問題を抱えながら克服してきた。
もちろん表面的には、時代に応じて多少様相が異なるかもしれないが、
本質の部分では変わらないような気がする。
そういう意味では教会史を学ぶことがますます楽しくなってきた。

こうして講義の内容を振り返っていると、ついつい長くなってしまうが、
今晩の祈祷会の準備もあるので、今日はこの辺で終わりにしよう。

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知らないとは恐ろしい・・・

2006-05-23 13:00:15 | ちょっと息抜き
こちらに引っ越してから、Yahooの無線LANの契約をした。
今まで豊橋にいるときには自宅でパソコンを使うことは無かったので、BBフォンのみの契約だった。
この際、ついでに契約内容を8Mから50Mに更新もした。
送られてきた新しいモデムをつなぎ、設定もマニュアルを見ながら、たぶん普通の人より時間をかけてようやくできた。
分かる人にはたいしたことではないだろう。
でも、本当にコンピューターの知識がないと大変。
基本的な知識さえまともにないのだから。
そんな思いでセッティングをしたのが一ヶ月前くらいのことだった。

でも、二週間くらい前からワイヤレス接続が急にできなくなっていた。
原因不明。
自分で操作して何とかなるかなとも思い、いろいろ試してみたが、ダメだった。
インターネットにつなげないとかなり不便だ。
自宅にパソコンを持つようになって、使う頻度が急に増えたので、
いざ使えなくなると、とても不便に感じる。不思議なものだと思う。
しょうがないから、とりあえずモデムと直接つないで使っていた。
別にそれでもいいのだけど、無線にしている意味がない。

SoftBank BB テクニカルサポートセンターへ電話してみた。
非常に丁寧な応対で分かりやすく説明してくれた。
素人でも分かるように、解決まで順に指示をしてくれた。
これなら自分でも分かる。
でも、この手順は教えてもらわなければ、自分には絶対に分からなかった。
やはり知らないということは、大きな損失だなーと思う。

教えてもらったおかげで、無事無線LANが使えるようになった。
良かった!
知らないなら知らないなりに、知ってる人から教えてもらえばいいだけの話。
これはどの分野でも通じる原則だろう。
うやむやにせず、解決を求めること。助言を聞く謙虚さを持つこと。
知らないこと、知ろうとしないことは大きな損失。

これは、真理を求める信仰の世界にも通じることだと言える。
もちろん、コンピューターのシステムのように、すぐに解決や明確な結果の出る分野ではない。
しかし、私自身、常に神様の導きを求める求道の心とそれに聞き従う謙虚さを持っていたい。
また、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」と言われるイエス様を仰ぐ仲間が起こされていくことを心から祈るばかりである。

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驚異のチームワーク

2006-05-22 13:09:43 | 教会の風景
昨日の一日も主の恵みを覚える一日だった。

実は金・土と忙しく、私自身疲れが溜まってきてはいた。
妻が言うには、礼拝の説教もいつもより私のトーンが下がっていたらしい。
そう言えば、会衆の中に心地よい安眠の時間を過ごしている様子も見受けられた。
日頃忙しい方々ばかりなので、教会で心がホッとするなら、それはそれでいいとも思う。この教会は礼拝前に9:30にはほとんど全員集まって、ユースと一般の分級をしている。だから9:30-12:00までほとんど目一杯集会に参加しているのが現状である。その中で何か一つでも聖書の言葉から教えられていれば、それでいいと私は思っている。

さて、そんなお粗末な礼拝説教が語られる礼拝でも、主はあえて新しい方を送ってくださった。
昨日はI君というK君の友人が礼拝に来てくれた。
彼は東京教会のYouth for Jesusにはすでに二度ほど来てくれている。
しかし、礼拝に出るのは初めてだった。
多少戸惑うこともあったそうだが、歓迎のアナウンスの時のコメントで
「これから時々来ます。」とのことだった。
昼食は一緒に話をしながら弁当を食べた。
その後、彼は夕方のYouth for Jesusにも参加することを告げて一旦帰った。

昨日は兼ねてから予定していた大掃除の日。
女性は教会周りの草取り。
男性は教会裏手の不要な物の片付け。
たいした打合せもなく、簡単な説明だけで始まったが、・・・。
物凄い勢いで作業が進んでいく。
わずか二時間ほどの間にみるみるキレイになっていった。
長年の教会員のチームワークを見せられるようだった。
たくさんのゴミが出たが、それも処分しやすいようにきちんとまとめられた。
教会の緑化計画の一端を担う大掃除も無事進められた。
一応来週も予備日として設けられているが、今日随分はかどったので、来週は大分余裕があるだろう。それにしてもきれいになった。感謝。

4:30からひばりヶ丘の東京教会でYouth for Jesus。
朝、東村山に来てくれたI君も予告どおり来てくれた。
所沢からAちゃんとH君、また茨城のC君も来てくれた。
皆勤のメンバーもいる。
彼らの中に何らかの変化が起こりつつあることを私たちは感じている。
一般の礼拝には出てはいないが、この集まりには欠かさず出ているし、
ユースキャンプの集まりにも積極的に参加している。
もちろん生活や言動はまだ荒削りなところがあることを否めないが、
確かに何かが変わりつつあることを感じている。
I君やC君のように新たなメンバーも定着しつつある。

長い目で今後を見守りたい。
今後が楽しみだ。
彼らと過ごすことを楽しみながら、
イエス様の恵みを伝えていくことで仕えていきたい。
妻とも話しているが、こういう時期にこの集まりに関わらせてもらえることは、本当に感謝だ。
イエス様が私たちの間でなされることをしっかり見届けたい。

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なぜそんな読み方をするの?

2006-05-20 15:11:09 | 神学校・講座
今朝は久しぶりに晴れ間が見えた。寝たのが3時頃だったので、起きたのは8時半頃。窓の外を見ると、日差しと新緑が非常に鮮やかに目に映る。

出かける準備をしたが、今日はもうチャペルには間に合わないと諦めた。

講義にはゆとりをもって間に合った。途中、小作駅から学校までの10分くらいの徒歩で汗が出た。蒸し暑い。

講義の時間になり、E先生が教室に来た。「さぁ、クイズ(小テスト)をしましょう!」教室が「えっ?」という感じでざわついた。今日はレポート提出日でクイズはないはずだから。やれやれ抜き打ちか?と思ったら、どうやら冗談だったらしい。ホッ。

先生が聖書の一節を朗読。ヤコブ書1章の始めの部分。知恵のない者にも、とがめることなく知恵を与えてくださる神様を心に留めた。

今日は福音書の概観の続きだった。共観福音書を比較してそれぞれの特徴を考えた。また著者についての説明も聞いた。たとえば、マタイの福音書は十二弟子の一人であるマタイが書いたとされているが、福音書本文には明記されていない。マタイが著者であるという根拠は、使徒後の教父たちの著作に言及されているからということ。もう一つは、ごく初期の写本にマタイの福音書と記入されていることによる。それ以上に客観的に主張できる点は乏しいようだ。おもしろいのは、こじつけに近い説明もあることだ。たとえば、マタイは取税人だったので、他の福音書記者より細かい記述ができている(?)取税人は几帳面?

毎回、パソコンをプロジェクターにつないで写真付で説明してくださる。今日は死海文書で知られるクムラン宗団が共同生活をしていた施設の跡を写真で見た。
その施設には洗礼槽や写本を写す部屋、写本を入れる瓶を焼く釜戸の跡などが見つかっている。

共観福音書の起源を巡ってリベラルな学者たちの間では論争が絶え間ないそう。説明を聞いていても複雑で分かりにくい。真剣に論じている人達には悪いけど、意味がなさそう。仮定の上のさらに仮定でしかない。E先生も「みなさんは福音派で幸せですよ。」と閉じた。確かにそのまま自然に受け止めればいいのだから。今までごく当たり前に教えられてきたことが、大多数のキリスト教会では分らず、一生懸命人間の知恵を絞って推測して論じているのだから、イエス様もそんな様子を見て苦笑いしてるのではないだろうか?

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