今日は一段と冷えます。
さて、今日のテーマは「やらない」と「やれない」
よく、昔、大人が
「あの子はやればできるのに、やらないのよねー」
というのを耳にしました。
そのときは、ふーん、と思っていましたが、今、子供たちをはじめ、
いろいろな人とかかわって、ちょっと見方が変わってきたように思います。
「やらない」のではなく、「やれない」
のではないかな?と。
自分の意に沿わないこと、やりたくないこと、興味のないことを「やらない」のではなく、
そもそも「できない」。
「やる」ことよりも「やらない」ことのほうが、自分にとって安全である。
そうであれば、結果的に「やらない」ように見えます。
それは、「さぼっている」とさえ映るときもあるかもしれません。
若いときは私も、「なんで!?」と思うこともありました。
でも、今はそれも個性だと思うようになりました。
自分のやりたいことが、はっきりとわかっている。
そういうことなんじゃないかな、と。
やりたいことへのエネルギーが高いのではないかな、と。
それも素敵な事だと思います。
だからといって、ピアノの先生として放っておくわけではありません(笑)
一緒に楽しいことを探していければ、と思っています。
ただ、これは私が「親」でないからできるスタンスかもしれません。
親御さんにしてみれば、心配なこと、いっぱいあるのかもしれませんね。。。。
さて、今日のテーマは「やらない」と「やれない」
よく、昔、大人が
「あの子はやればできるのに、やらないのよねー」
というのを耳にしました。
そのときは、ふーん、と思っていましたが、今、子供たちをはじめ、
いろいろな人とかかわって、ちょっと見方が変わってきたように思います。
「やらない」のではなく、「やれない」
のではないかな?と。
自分の意に沿わないこと、やりたくないこと、興味のないことを「やらない」のではなく、
そもそも「できない」。
「やる」ことよりも「やらない」ことのほうが、自分にとって安全である。
そうであれば、結果的に「やらない」ように見えます。
それは、「さぼっている」とさえ映るときもあるかもしれません。
若いときは私も、「なんで!?」と思うこともありました。
でも、今はそれも個性だと思うようになりました。
自分のやりたいことが、はっきりとわかっている。
そういうことなんじゃないかな、と。
やりたいことへのエネルギーが高いのではないかな、と。
それも素敵な事だと思います。
だからといって、ピアノの先生として放っておくわけではありません(笑)
一緒に楽しいことを探していければ、と思っています。
ただ、これは私が「親」でないからできるスタンスかもしれません。
親御さんにしてみれば、心配なこと、いっぱいあるのかもしれませんね。。。。