「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、法話2013.12.06

2013-12-06 23:27:12 | 仏教

広島のほうの僧侶。
広島弁の雰囲気もあるが、
他の地方のなまりもまざっていたような気がする。

阿弥陀。
これは、インドの言葉。
アミダーは、無限量という意味。

アミダーに続く語をつけて、
アミダー光、アミダー命という言葉がある。
無限の光、無限の命それらは、アミダ様の照らす光、
浄土の世界を意味する。
光は、智慧(ちえ)、悟りを意味する。


話全般的に、
ときどき、話が脱線するので、
メモがとりずらかった。
話の筋が通っていないようにも感じれた。

話の内容よりも、話し方で笑いをとるような・・・。

途中、謝罪の王様という映画についての話題がでたが、
法話にどうつながっていたのか、思いだせない。

この僧侶が、23歳で出家、25歳で僧侶の父が亡くなり、
自分の名前について、その名前の解説、そして、
父にその本意を聞きたかった。
というおち(法話のきも)にも
ならないような話もあった。

法話の担当者は、週末にかけて4回、
各一時間弱の法話があるので、
同じ話をしてはいけないと思うだろうし、4時間もあるし、
たいへんだとは思う。もし一回一時間なら、蛇足なく、
きっちり話の焦点は、はっきりすると思う。


最後のほうのかけあしに話した内容が、少し気になった。
あるおばあさんが、エンディングノート
を書いたという。
このことばを、はじめて聞いた。
自分の死に様・・・を書くようなものらしい。

このおばあさんは、
エンディングノートには、いたずらな延命治療はいらないと
書いていたそうで、娘ともめたという。
娘の親を思う気持ちと、親自身の気持ちが、
かみ合わなかったという。


死について、10歳で死んだらかわいそう、
100歳で死んだら大往生。
かわいそうというのは、人がかってに決めた価値判断。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする