寄り添うってなんだろう~僧侶の実践から学ぶ
磯村健太郎
磯村という名前から
別の人を想像していたが別人物だった。
朝日新聞記者で59歳。もうすぐ定年退職。
*******
いろんな宗派から講演を依頼されてきたが、今日は安心している。なぜなら、真宗の本願寺派の門徒だから。
築地本願寺には合同墓地がある。このお墓に入るべく申し込みをしている。妻に相談して、このお墓にいっしょに入らないかと聞いたら妻は涙を流した。妻は2度目のプロポーズみたいで感動したと感動して泣いた。(子供がいるとは話さなかったのでそういう経緯で合同墓地・・・なのかもしれない)
生い立ち。
福岡の炭鉱の町でうまれ、おかしを作る町工場を家族が営んでいた。でも貧しかった。父親の方は新興宗教にはまり、その教会にも高校生くらいまで連れられて行った。特に疑問はなかったが、大阪の大学に行くようになり、この宗教からは自然と疎遠になった。
記者になり、刑事事件などを担当していた。アエラという雑誌で、部下の不祥事で2年間仕事がなかった時期も経験した。その間に、宗教とのかかわりを考え始め、それを記事にすることにした。
「ルポ仏教、貧困・自殺に挑む」という本も出した。
仏教から2つの点を考える。
1つは、人生の指針。
もう1つは、他人の幸福を願うこと。利他もしくは慈悲。これらをよりわかりやすい言葉でいうなら寄り添い。
総理は、初心表明演説で、「沖縄に寄り添って」ということばを使っていたが、評判が悪い。
約10年前、本願寺に仏教を勉強しに来ていた時、白いワンピースを着て地べたに座っている物乞いをしている50代くらいの女性をよく見かけていた。真夏に、日傘をさしながら。何度も前を通って声をかけれずにいた。通りすがりのサラリーマンが女性のホームレスは珍しいよね。などと言っていた。(この続きは後で)
見えない貧困(女性の場合、身だしなみは最低限よくしているように見えるがぱっと見貧困であることがわかりにくい)。Deep Pure。深刻な貧困。
例えば4人家族で年間120万の収入。月10万で生活しているということになる。
山梨のNPOは、貧困者に食品を送る活動をしている。貧困が自殺の要因にもなっている。自死が日本では年間2万人ほどいる。
苦は心の中にあると仏教は言っている。でも社会の問題が苦を生んでいるということもある。内面の問題だけではない。
よろず相談(僧談)を本願寺の僧侶がしている。
お坊さんの行動から学びたい。
どういうスタンスで困っている人に向き合っていけばよいか。
とあるお寺の僧侶が、お寺の前の張り紙に「悩み事聞きます」と書いて出した。次々とお寺に来る人が増えた。例えば、死にたいと相談。・・・なら死にたいというのはわかります。と答える。気持ちをくもうとする努力、プロセスが大事。
京都自死自殺センターというところがある。本願寺の僧侶が主体となってNPOとして活動している。宗教色を出さずに、電話相談をしている。
僧侶がひきこもり相談をしている。ListenではなくFeelのほうがよいのかもしれない。
中村元の著書「ブッダの言葉」には、生きとし生けるものは幸福であれと書いている。
四天王寺に悲田院という駆け込み寺の歴史がある。現代版の駆け込み寺が東北にある。名前とどこから来たのかを書いてもらう。ただ、あえて問題は聞こうとしない。聞いたところで何ができますか?という意図もある。相手から問題を口にするときには聞くという姿勢。何も聞かないのも寄り添うというひとつの形。
ひらがなで、「いのち」という組織を上野のあるお寺運営している。ホームレスを支援している。
滋賀のあるお寺。お供え物を集めて困った人に米を送る活動。東北の方にもこのような支援の輪が広がった。
先ほどのホームレスの女性についての続き。何度も通り過ぎたころに、ついに声をかけた。どうだったらよいですかと尋ねた。雨風がしのげて軽作業でよいので生活できれば・・・。この女性を件をあるお寺に声をかけた。・・・でも結局うまくいかなかった。
そのあと、その女性を見かけなくなった。有楽町のほうにもいるらしいというのを聞いたので行ってみたがそこにも見当たらなかった。このことについて、あるお寺に相談した。その女性は、新たな行動をとり始めたんではないでしょうか。
朝日新聞を退職後、ボランティアをしてみたい。貧困問題と向き合ってみたい。
****
内容的には、自分の生い立ちの話と、記者という立場から、僧侶が行っている行動について、スライドを示しながら紹介するという講座の内容であった。
磯村健太郎
磯村という名前から
別の人を想像していたが別人物だった。
朝日新聞記者で59歳。もうすぐ定年退職。
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いろんな宗派から講演を依頼されてきたが、今日は安心している。なぜなら、真宗の本願寺派の門徒だから。
築地本願寺には合同墓地がある。このお墓に入るべく申し込みをしている。妻に相談して、このお墓にいっしょに入らないかと聞いたら妻は涙を流した。妻は2度目のプロポーズみたいで感動したと感動して泣いた。(子供がいるとは話さなかったのでそういう経緯で合同墓地・・・なのかもしれない)
生い立ち。
福岡の炭鉱の町でうまれ、おかしを作る町工場を家族が営んでいた。でも貧しかった。父親の方は新興宗教にはまり、その教会にも高校生くらいまで連れられて行った。特に疑問はなかったが、大阪の大学に行くようになり、この宗教からは自然と疎遠になった。
記者になり、刑事事件などを担当していた。アエラという雑誌で、部下の不祥事で2年間仕事がなかった時期も経験した。その間に、宗教とのかかわりを考え始め、それを記事にすることにした。
「ルポ仏教、貧困・自殺に挑む」という本も出した。
仏教から2つの点を考える。
1つは、人生の指針。
もう1つは、他人の幸福を願うこと。利他もしくは慈悲。これらをよりわかりやすい言葉でいうなら寄り添い。
総理は、初心表明演説で、「沖縄に寄り添って」ということばを使っていたが、評判が悪い。
約10年前、本願寺に仏教を勉強しに来ていた時、白いワンピースを着て地べたに座っている物乞いをしている50代くらいの女性をよく見かけていた。真夏に、日傘をさしながら。何度も前を通って声をかけれずにいた。通りすがりのサラリーマンが女性のホームレスは珍しいよね。などと言っていた。(この続きは後で)
見えない貧困(女性の場合、身だしなみは最低限よくしているように見えるがぱっと見貧困であることがわかりにくい)。Deep Pure。深刻な貧困。
例えば4人家族で年間120万の収入。月10万で生活しているということになる。
山梨のNPOは、貧困者に食品を送る活動をしている。貧困が自殺の要因にもなっている。自死が日本では年間2万人ほどいる。
苦は心の中にあると仏教は言っている。でも社会の問題が苦を生んでいるということもある。内面の問題だけではない。
よろず相談(僧談)を本願寺の僧侶がしている。
お坊さんの行動から学びたい。
どういうスタンスで困っている人に向き合っていけばよいか。
とあるお寺の僧侶が、お寺の前の張り紙に「悩み事聞きます」と書いて出した。次々とお寺に来る人が増えた。例えば、死にたいと相談。・・・なら死にたいというのはわかります。と答える。気持ちをくもうとする努力、プロセスが大事。
京都自死自殺センターというところがある。本願寺の僧侶が主体となってNPOとして活動している。宗教色を出さずに、電話相談をしている。
僧侶がひきこもり相談をしている。ListenではなくFeelのほうがよいのかもしれない。
中村元の著書「ブッダの言葉」には、生きとし生けるものは幸福であれと書いている。
四天王寺に悲田院という駆け込み寺の歴史がある。現代版の駆け込み寺が東北にある。名前とどこから来たのかを書いてもらう。ただ、あえて問題は聞こうとしない。聞いたところで何ができますか?という意図もある。相手から問題を口にするときには聞くという姿勢。何も聞かないのも寄り添うというひとつの形。
ひらがなで、「いのち」という組織を上野のあるお寺運営している。ホームレスを支援している。
滋賀のあるお寺。お供え物を集めて困った人に米を送る活動。東北の方にもこのような支援の輪が広がった。
先ほどのホームレスの女性についての続き。何度も通り過ぎたころに、ついに声をかけた。どうだったらよいですかと尋ねた。雨風がしのげて軽作業でよいので生活できれば・・・。この女性を件をあるお寺に声をかけた。・・・でも結局うまくいかなかった。
そのあと、その女性を見かけなくなった。有楽町のほうにもいるらしいというのを聞いたので行ってみたがそこにも見当たらなかった。このことについて、あるお寺に相談した。その女性は、新たな行動をとり始めたんではないでしょうか。
朝日新聞を退職後、ボランティアをしてみたい。貧困問題と向き合ってみたい。
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内容的には、自分の生い立ちの話と、記者という立場から、僧侶が行っている行動について、スライドを示しながら紹介するという講座の内容であった。
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