「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

法話、世田谷の龍雲寺

2008-04-14 01:00:46 | 仏教
 はじめての臨済宗、妙心寺派(禅宗)の法話。
江戸時代の盤コウ禅師という人の説法をもとに、
神戸のほうのお寺の師が、お話しをした。
100人くらいの聴衆がいたのではないかと思う。

 不生不滅という言葉がある。生じることがなければ
滅することもない。
 
 この言葉より、不生という言葉を強調される。(ちょっと
区別が少ししずらい)
 たとえば、電車に乗っているとき、
ああ電車の音がしていると感じるより、
周りの人の大きな声の話し声が気になる。
あるいは、電車の音、周りの話し声があっても、
本読みに集中していれば、それらは気にならない。
気にすれば気になってしまう。

 不生≒無心≒空。

 ブッタは、瞑想をし悟りを開いた。それと同じように
禅という形で修行すれば、ブッタの悟りに近ずける
心を静める禅をすれば、不生の心が得られる。
(これが禅宗の立場)

 おそらく、盤コウ禅師の法話をもとにしないほうが、
私の知りたい禅の意義は、
より短い時間で理解できるのかもしれないが、
禅というものについて既に理解できている聴衆の
方にとっても、回り道したお話しのほうが
新鮮でいいのかもしれない。

 法話が終わって、質問タイムに入った頃、
左前の席の60くらい?のおばあさんの机を見ると、
配られた盤コウ禅師の法話のコピーに、
今日の法話の師の似顔絵が、とてもうまく書かれている
のに気づき、心の中で笑ってしまった。
似ているというより、うまいという感じで趣味に
されている方か、マンガの経験があったりするのかも
しれない。師の額が、光で反射して、
反射した部分が、長四角に縁取られていて、
マンガ心がありそうな絵だった。
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