ホテルの宴会場で行われた父方のいとこ会は、出席者30名で、まるで同窓会のようでした。(笑)
父の兄弟は男性6人女性2人でしたが、一番下の叔父が学徒出陣で戦死しています。
父をはじめ、そのほかの伯父たちも戦争に行ったのですが、終戦まで生き延びて戻ってきたそうです。
もう伯父たちも伯母たちも亡くなってしまったので、一番年長の84歳の従兄が昔の詳しい話をしてくれました。

二番目の伯父の家は、従姉の娘たちも出席して盛り上げてくれました。

お料理を作ってくださったシェフが歓迎の挨拶をしてくださいました。

どのお料理も美味しくいただきましたが、左上のブラマンジェはお皿に食材で字と絵が描かれ、これはシェフの得意とする技だそうです。(笑)

従姉の孫の歌の披露もありました。

30分ほどの映画も上映されました。
平成天皇のご成婚の時に自主制作された映画で、従姉が出演しているということで上映することになったようです。

今NHKの朝ドラは『ひよっこ』という題で主人公は私と同世代。
茨城県の小さな村が舞台です。
昭和39年の東京オリンピックの場面もありましたが、平成天皇のご成婚はそれより5年前の昭和34年です。
この映画の舞台も茨城県であり、農家の人たちが登場するので、見ていてつい『ひよっこ』を思い出しました。

ご成婚祝賀のために、農村の人たちが観光バスを仕立てて東京に行くところです。

従姉は観光バスガイドとして出演したのですが、女優ではなくて本当に観光バスガイドをしていたのです。(笑)

皇居前広場の実際の映像です。

茨城県から観光バスで参加した人たちは、みんな着物を着ています。
きちんとした外出には大切にしまってある着物を着るのが当たり前の時代でした。

ご成婚パレードを見る人たちの中に外国人女性が映っていたので驚きましたが、進駐軍として日本に住むアメリカ人が大勢いる時代でした。

あの日、テレビの生中継でも見たご成婚パレードです。
私は小学校6年生でした。

パレードが通り過ぎる都心の様子です。

ビルなんか1棟も無くて、田舎町の駅前風景みたいです。
これが昭和34年、日本で最も賑やかであったと思われる都心の様子です。

結婚の儀が終わって人々は茨城県に帰り、また農民としての日常が始まったという場面です。

私にとっては懐かしく面白い映画でしたが、若い人にはピンとくるものはなかったかもしれません。

帰りにお土産もいただき、楽しい1日となりました。

父の兄弟は男性6人女性2人でしたが、一番下の叔父が学徒出陣で戦死しています。
父をはじめ、そのほかの伯父たちも戦争に行ったのですが、終戦まで生き延びて戻ってきたそうです。
もう伯父たちも伯母たちも亡くなってしまったので、一番年長の84歳の従兄が昔の詳しい話をしてくれました。

二番目の伯父の家は、従姉の娘たちも出席して盛り上げてくれました。

お料理を作ってくださったシェフが歓迎の挨拶をしてくださいました。

どのお料理も美味しくいただきましたが、左上のブラマンジェはお皿に食材で字と絵が描かれ、これはシェフの得意とする技だそうです。(笑)

従姉の孫の歌の披露もありました。

30分ほどの映画も上映されました。
平成天皇のご成婚の時に自主制作された映画で、従姉が出演しているということで上映することになったようです。

今NHKの朝ドラは『ひよっこ』という題で主人公は私と同世代。
茨城県の小さな村が舞台です。
昭和39年の東京オリンピックの場面もありましたが、平成天皇のご成婚はそれより5年前の昭和34年です。
この映画の舞台も茨城県であり、農家の人たちが登場するので、見ていてつい『ひよっこ』を思い出しました。

ご成婚祝賀のために、農村の人たちが観光バスを仕立てて東京に行くところです。

従姉は観光バスガイドとして出演したのですが、女優ではなくて本当に観光バスガイドをしていたのです。(笑)

皇居前広場の実際の映像です。

茨城県から観光バスで参加した人たちは、みんな着物を着ています。
きちんとした外出には大切にしまってある着物を着るのが当たり前の時代でした。

ご成婚パレードを見る人たちの中に外国人女性が映っていたので驚きましたが、進駐軍として日本に住むアメリカ人が大勢いる時代でした。

あの日、テレビの生中継でも見たご成婚パレードです。
私は小学校6年生でした。

パレードが通り過ぎる都心の様子です。

ビルなんか1棟も無くて、田舎町の駅前風景みたいです。
これが昭和34年、日本で最も賑やかであったと思われる都心の様子です。

結婚の儀が終わって人々は茨城県に帰り、また農民としての日常が始まったという場面です。

私にとっては懐かしく面白い映画でしたが、若い人にはピンとくるものはなかったかもしれません。

帰りにお土産もいただき、楽しい1日となりました。
