そこはかとな紀

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丸岡城訪問

2009-06-10 22:41:43 | 博物館
 丸岡城を訪れた
 巷では一筆啓上 おせん泣かすな 馬肥やせ で有名なお城である
日本最古の天守閣なのになんで国宝じゃないの?という疑問は以前からあったが、今回再訪してその答えがわかった。(ちなみに前回は小学生のとき)ほとんど垂直に近い傾斜のきつい階段はお約束、というか、古い城の定番です。この階段だけでも天守閣が普段の生活の場ではなかったことを物語ります。小学生のときはすげーお姫様ってこんな階段のぼってたんやあと、勝手に感動してましたが。さて天井の梁などを見ると直線で構成されており、これは昭和23年の福井地震で天守閣が倒壊したため新しい木材を使ったためであろう。国宝の彦根城では梁の構造は実に複雑で、確かに当時の様子がしのばれる。また瓦や軒の彫刻など確かにそう検事の物と推測できるものも残っており、重要文化財の価値はここにあるのだろう。
 付属の郷土資料館は展示内容も興味深く鑑賞した。中でも丸岡藩の発行した藩札や当時の地図が大変興味深かった。
 

大黒屋光太夫記念館

2009-05-06 11:53:59 | 博物館
 三重四日市市の大黒屋光太夫記念館に行ってまいりました
大黒屋光太夫はわたしの大好きな江戸時代人の一人です。彼が漂流の果てサンクトペテルスブルグでエカテリーナ2世に謁見して、ついに故国に帰ってきたという稀有な体験の持ち主です。彼の経験は「北槎聞略」にまとめられましたが。井上靖の「おろしあ国酔夢譚」や吉村昭の「大黒屋光太夫」などの小説、みなもと太郎のコミック「風雲児たち」 映画「おろしあ国酔夢譚」主演緒方拳と数多く作品化されています。
 江戸時代は菱垣廻船の時代で、われわれの想像以上に物流が発達しており日本近海は和船が行きかっていたわけなんです。
 ところが幕府の鎖国政策で和船には厳しい制限があり。西洋船に比べて荒天時の性能では残念ながら劣っていました。
 このことが、おびただしい難破船を生み出し、遭難者を生み出したわけです。多くは船と運命を共にして、海の藻屑となってしまったのです。しかし中には、運良く遭難しながらも、無人島や他国に流れ着いたものもいました。そしてその中のごくごくわずかな物たちが、母国日本に帰りつくことができたのです。そしてその帰国できたものの中でも特に稀有な体験をしたのが、大黒屋光太夫だといえましょう。多くの作品は大黒屋光太夫が日本に帰りついたところで終わりますが、この記念館ではその後の光太夫のことがわかる展示になっておりました。彼がロシア語で揮毫を好んでしていてことや、故郷の若松を訪れたこと、など大変興味深く。以前言われていた軟禁状態とは違ってわりと自由のある暮らしぶりだったのが理解できた。
 写真は彼の銅像ですが胸に エカテリーナ2世のメダルがあります
謁見後このメダルを与えられたことで、役人の扱いが格段に変わったそうです

三十三間堂

2009-04-08 20:39:34 | 博物館
 平家が後白河上皇のために建立したといわれる、鎌倉建築最長の120mの伽藍は内部もすごかった。というのも、千手観音像が千一体あるってこれまたすごいわ。一歩内部に足を踏み入れた途端に圧倒されるその存在感!我々現代人は工場制機械工業の時代に生きているので実は、同じものがうず高く積まれていたり、同じ製品がはるか彼方まで並べられている風景はある意味慣れているわけである。ところがこちらの千手観音は全部手作り。主体になったのは運慶快慶親子の仏師集団。このことからもこの仏師集団が恐ろしく効率よく編成された職人集団だったことが見て取れる。一体一体じっくり見ると観音様のお顔が微妙に違うし、当時の日本人の顔が反映されているんだろうなあ単純に千手観音が1001体だから手の数は100万1000本?と思うんだけど実はこのお堂の千手観音は40本の手を持っています。つまり40*1001 つまり40040本の手!!!往時の後白河法皇の栄華が偲ばれますねえ。

 この三十三間堂が江戸時代になって別の意味で注目を浴びます それが通し矢です

通し矢

 三十三間堂の柱には将軍家光の寄進による鉄の鎧が貼り付けられていたり、館内の展示には矢柄が刺さってササラのようになった垂木が会ったり これもまた往時を偲ぶ展示内容でした。後で知ったのですが天井にはまだ矢柄が一本残っているとか イヤア勉強になりました。
 写真は射場から 的のあるほうを見た絵です この軒下を一晩で1万本以上射たといういうんですから信じられません。

六波羅密寺

2009-04-08 20:34:38 | 博物館

 その昔平氏一門の屋敷があったという、六波羅にある平家ゆかりの寺、六波羅密寺に行ってまいりました。すぐそばに六道の辻があり、こちらでは有名な幽霊飴を売っていました。これは「まんが日本昔話」に4回もなった!!(埋葬された母親が赤子を養うために、夜な夜な飴を買いに来るというお話)そのお店の実物である。思わずお土産に飴を買ってしまいましたがな。お店の方が「ハイこちらが400年前に幽霊が飴を買いに来た店どす」とさらっと言ってのけるところなんぞ、さすが京都。京都では「この前の戦争」というと第二次世界大戦のことではなくて応仁の乱だったりする。歴史の重みが他の都市とは、全然違うのである。麦芽と砂糖煮詰めて板状に固めた文字通り飴色の物を木槌で叩き割った飴は、懐かしい味で、<土山名物蟹が坂飴>と似た味わい、これは迷わず買いである。

 六波羅密寺自体は伽藍が丹塗りだったり土台が塗り壁?だったりちょっと、中国風なのだろうか?
異国の香りのする建て方である。これもきっと日宋貿易を推進した清盛の影響かな??と勝手に想像して中に入る。不覚なことにこの時点まで、この寺の開祖が空也上人だということを知らなかった。平安時代に隆盛を極めた浄土信仰が結実した鎌倉時代の開山だから、平家が抜けた跡地利用なのかな?と想像するが。はてじゃあ六波羅探題はいったいどこにあったのよ、と疑問に思う。

 本堂を参拝して、宝物殿に向かう。なんと驚いたことにこの宝物殿には、剃髪した清盛が経を読む坐像←あの教科書や資料集に乗っているあの像ですよ!!の本物が納められていて、至近距離から拝観出来たのには驚いた。
 そのうえあの有名な空也上人像←唱えた念仏が口から仏像になって流れ出ているあの像ですよ!!も納められていた。無造作にとは言わないが、何の気負いも衒いもなくこんな有名な像が普通に見れる、というのはありえないですね。改めて京都という町の懐の深さを感じてしまいました。 

三国龍翔館

2009-04-02 21:00:13 | 博物館
内田惣右衛門記念館 を拝観するつもりでしたが。開館時間になっても誰も来ない。おまけにバロック様式の概観に菱垣廻船+和服姿の銅像とかなり不気味な外見でした。方向転換して、以前から参観したかった三国龍翔館へ。ここの受付で尋ねたところ、内田惣右衛門記念館は長らく開館していないとか。残念、そこで三国龍翔館の常設展示を拝観しました。三国は古くから北前船の寄港地で栄えてきた湊ですが、鉄道の時代になり、北陸本線から遠く外れて寂れてしまった町です。展示内容からそのあたりの変遷が伺えて興味深かった。驚いたのは明治初年の町内職業一覧が残っており、それを地図化したものが圧巻であった。町の中心部はの業の家は皆無で船大工や船頭、各種職人、遊郭、御茶屋、呉服屋と往時の繁栄が偲ばれる分布であった。 改めて北前船の重要性を実感した、研修であった。Ⅲ 所感私の実家は三国の隣り街で、農家であったが、正月準備となると祖父が大切にしまいこんであった鰹節を取り出して。一家の長として威厳を持って恭しく削っていたのを思い出す。 当然普段のお出汁はじゃこであった。あの鰹節は昔は、はるばる土佐から北前船で運ばれてきたものであったのであろうと。往時を偲んでしまった。 三国町自体は明治の中ごろから、廻船が下火になり、鉄道の世の中になると寂れてしまい。そのことがかえって、現在も当時の町並みを偲ぶ、よすがとなっているのであろう。

いろは丸記念館

2008-08-05 01:00:45 | 博物館
0系新幹線にのってたどり着いたのは、鞆の浦。ここに来た目的は研修でいろは丸記念館を探訪すること。いろは丸っていうのは早い話が坂本龍馬が乗っていた船でこの鞆の浦の沖で紀州藩の船に衝突されて沈没してしまったのですよ。紀州藩は御三家といういわば幕府の権力側、対する龍馬は今でこそ超有名人だけど、当時は一介の素浪人。権力を笠に着てうまく逃げようとする紀州藩を龍馬が追い詰めて結局7万両も賠償金を取るわけです。だけども、その経緯もさることながら、この博物館も含めて鞆の浦の町が素晴らしいのですよ。なんと言っても当時は瀬戸内海航行の拠点だったが鉄道や主要幹線道路からはずれ、江戸時代そのままの美しい町並みと人情が残っているんです。お店の人や博物館の人通りすがりの人ボランティアの説明員の人と誰もが親切で気さく。料理もおいしいしイヤーーー正しい夏休みを堪能しました。またこの記念館で龍馬クイズをやっていて私は2級 残念(><)またいろは丸の積荷だった石炭を分けていただけるんです 竜馬と一緒に乗ってた石炭だよお 感動しました 行って良かったあああああ

法隆寺秘法展

2008-05-05 17:21:53 | 博物館
 法隆寺秘法展に行ってきました ちょいと前だけどね
法隆寺の所蔵品て 当たり前だけど仏像や仏具がほとんどだけど、その年代が半端じゃない。平安時代当たり前、奈良時代飛鳥時代のものも目白押し。たまに鎌倉のものがあると「なんや新しいやん」って これとんでもない感覚なんだけどね。それでも時代にかかわらず保存状態もいいし見飽きないんだわ。思わず時間のたつのを忘れてしまいました。
 ところでだね今回の特別展では 玉虫厨子の復元レプリカが展示されててこれが眼目のひとつなんだよ。これね でオリジナルのは1400年近くたってるのでさすがに色もくすんでしまって、往時の姿をしのぶのにはかなりの想像力が要りますが。
 レプリカはさすがに見事、ρ(・д・*)コレを見た当時の人たちはさぞかしおどろいたろうなあ。玉虫の羽はもっと全面に貼り付けてあったのかと思ったけど、一部特に柱やはりの部分に貼ってあったのね、これは知りませんでした。

 しかしね、このレプリカを見るのにまた一枚別のチケットが必要なんです結構値段はしたなあ、確か600円くらいかと。しかし冷静になってみると、オリジナルの古ぼけた1400年経過したやつのほうが実は価値があるのでは・・・。そっちは企画展の料金で見れるのに新しいほうがお金が高いってのはc(゜ー゜*)チョッチダケヨ♪納得行かないなあ。