その昔平氏一門の屋敷があったという、六波羅にある平家ゆかりの寺、六波羅密寺に行ってまいりました。すぐそばに六道の辻があり、こちらでは有名な幽霊飴を売っていました。これは「まんが日本昔話」に4回もなった!!(埋葬された母親が赤子を養うために、夜な夜な飴を買いに来るというお話)そのお店の実物である。思わずお土産に飴を買ってしまいましたがな。お店の方が「ハイこちらが400年前に幽霊が飴を買いに来た店どす」とさらっと言ってのけるところなんぞ、さすが京都。京都では「この前の戦争」というと第二次世界大戦のことではなくて応仁の乱だったりする。歴史の重みが他の都市とは、全然違うのである。麦芽と砂糖煮詰めて板状に固めた文字通り飴色の物を木槌で叩き割った飴は、懐かしい味で、<土山名物蟹が坂飴>と似た味わい、これは迷わず買いである。
六波羅密寺自体は伽藍が丹塗りだったり土台が塗り壁?だったりちょっと、中国風なのだろうか?
異国の香りのする建て方である。これもきっと日宋貿易を推進した清盛の影響かな??と勝手に想像して中に入る。不覚なことにこの時点まで、この寺の開祖が空也上人だということを知らなかった。平安時代に隆盛を極めた浄土信仰が結実した鎌倉時代の開山だから、平家が抜けた跡地利用なのかな?と想像するが。はてじゃあ六波羅探題はいったいどこにあったのよ、と疑問に思う。
本堂を参拝して、宝物殿に向かう。なんと驚いたことにこの宝物殿には、剃髪した清盛が経を読む坐像←あの教科書や資料集に乗っているあの像ですよ!!の本物が納められていて、至近距離から拝観出来たのには驚いた。
そのうえあの有名な空也上人像←唱えた念仏が口から仏像になって流れ出ているあの像ですよ!!も納められていた。無造作にとは言わないが、何の気負いも衒いもなくこんな有名な像が普通に見れる、というのはありえないですね。改めて京都という町の懐の深さを感じてしまいました。
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