天体望遠鏡博物館の大望遠鏡棟に展示されているブラッシャー25cm反射赤道儀は1920年に京都大学に導入された米国ブラッシャー社製の望遠鏡と言われています。現存する貴重な望遠鏡の一つでもあります。
「言われています」というのは、西村製作所にずっと保管されていたので、由来からして正真正銘のものと思われるのですが、望遠鏡本体のどこにも「Brashear」の文字、銘板がなく、確定的に言えないので。。。
西村製作所が京大のブラッシャー望遠鏡を手本にして製作したコピー品と思っていた者もいたほど。
ところが、この度、西村製作所よりこの望遠鏡のものと思われるBrashearの銘板が見つかった、とのことで、博物館にその銘板が届けられてきました。
早速、私めが銘板片手に望遠鏡の架台をチェックしたところ、銘板が付いていた場所と思われる長方形に塗装がない箇所が直ぐに見つかりました。銘板をあてがった処、四隅のビス穴位置もピッタリ合致です。
ビスのピッチがぴったり合うものがなかったので、とりあえず径が合うビスで仮止めしておきました。
この望遠鏡、赤道儀の部品が完全に揃っておらず、今は架台と鏡筒がバラバラの状態での展示です。
この望遠鏡は、2年後の2020年に京大に導入されて100周年になります。その時までにはぜひとも架台を整備して、鏡筒が載った状態にしたいなあ、というのが博物館スタッフの目標です。私の勝手な願望かなあ?
(2018-5-21 追記)
このブラッシャー反射望遠鏡は学術用天体望遠鏡として我が国初の銀メッキ反射鏡と言われています。
京大構内の天文台(1920年設置)ー 京大花山天文台(1929年移設) - 花山天文台台湾出張所(1937年移設) - 京大構内の屋上ドームに移設(1939年)され、1985年ごろまで大学で実習に使用されていたそうです。
現役を退いた後、博物館に寄贈されるまでずっと西村製作所で保管されていたもので、カルバー46cm反射望遠鏡と同様に、あちこち旅をしてきた望遠鏡です。
一般人から見ればただの産業廃棄物かと思われてしまうようなものを、長期にわたり大事に保管してくれていた西村製作所に感謝です。
(2018-5-27 追記)
「中村要と反射望遠鏡」(冨田良雄、久保田 諄:かもがわ出版、2000年)を読むと、このブラッシャー反射望遠鏡は、1929年のインドネシアの皆既日食の際にはスマトラ島まで船旅をしてきたようです。当時の輸送手段、能力を考えると、たいそうな旅であったと思われます。この望遠鏡を含めた観測機材の準備、発送はほとんど中村要の肩にかかっていたそうな。
現在のブラッシャー反射赤道儀の展示状態。
見つかった銘板です。
ピラー脚の手前側に横長に塗装が抜けた箇所がありました。
そこに銘板をあてがうと、ぴったしです。