午前中の「関西大学アイスアリーナ」(高槻市霊仙寺町)は、強化選手数人だけが独占する。「おはよう」。織田信成選手(25)が高橋大輔選手(26)とあいさつを交わし、しばらく談笑しながら滑った後、母・憲子コーチ(65)のもとへ。秋からのシーズンに向け、新曲の動きを確認しながら練習する。
年齢が一つ違いで、同じリンクを練習拠点にしてきた両選手は友人でもあり、ライバルでもある。2006年トリノ五輪は、国内選考で織田選手が敗れ、高橋選手だけ出場。10年バンクーバー五輪は高橋選手が銅メダルを獲得、織田選手は演技中に靴ひもが切れるアクシデントに見舞われ、7位だった。今は2人とも1年半後のソチ五輪を目指す。
若手選手の台頭で日本代表になるには激しい戦いが予想される。「以前は大ちゃんに負けても、2位で代表になれるならいいか、という甘い考えが少しあったけど、今は自分で勝ち取りにいかないと蹴落とされてしまう、という危機感がある」と織田選手。外国人コーチのいるカナダと往復しながら、新しいジャンプや表現に取り組む。
織田選手がスケートを始めたのは3歳の時。母が自宅から自転車で5分の「オーツースケートリンク」(高槻市)でコーチをしており、年上の子どもたちに交じって滑っていた。小、中、高校と地元の公立学校に通い、放課後、午後3時から9時までスケートに明け暮れた。「セカンドハウスのような」リンクで、友人たちと一緒に過ごした。
04年11月、高校3年のシーズン中に、そのリンクが閉鎖された。「あまりに急で存続活動もできなかった。仲間と培ってきたコミュニティーがなくなるのが悲しくて」。みんなで泣いた。
府内のリンクを転々としながらも故郷を離れず、翌春、関大に入学、06年7月に関大リンクが完成した。「自分が成長し、いろいろなことを学んだ場所を離れようとは思わなかった」。一昨年結婚した後も、妻茉由さん(25)、長男・信太朗ちゃん(1)と高槻市内で暮らす。
昨シーズンは、幼い時から酷使してきた膝が悪化し、11月以降治療に専念。今シーズンは、ソチ五輪に向け再起をかける大切な1年になる。「考え得る努力を全部やって自信や技術を身に着ける。そして、自分にとって最後になるだろう来シーズンを楽しめる余裕を持ちたい」と語る。
引退後はコーチになるつもりで、すでに母の教え子を時々、指導する。「僕が教えて誰かがうまくなると、自分がうまくなるよりも倍うれしい」。スケートの楽しさを一人でも多くに伝えたいと思っている。
【豆知識】高度化する技
バンクーバー五輪後のルール改正で、ジャンプの回転不足の減点基準が緩和され、男子シングルでは4回転に取り組む選手が増加。世界トップを目指し、複数の種類の4回転に挑む選手が目立つ。また、技ごとのレベル認定や加点を確実に取るには、スピンでは難しい姿勢やポジション変化を、ステップでは複雑なターンなど高度なエッジさばきを求められる。選手たちはけがのリスクを背負いながら、高得点を目指して新しい技に挑戦している。
(2012年8月27日 読売新聞)