
京都府南西部の乙訓2市1町と京都市西京区に分布する古墳11基が20日、「乙訓古墳群」と名称変更し、国の史跡に追加指定されることが決まった。乙訓地域からは新たに8基が史跡指定される。観光振興や今後の調査の弾みになると、関係者は受け止めている。
向日市では、五塚原古墳(寺戸町)、元稲荷古墳(向日町)、南条古墳(物集女町)、物集女車塚古墳(同)の4基が新たに史跡指定される。中でも、古墳時代最初期の3世紀半ば~後半に造営された五塚原古墳は、卑弥呼の墓との説がある「箸墓(はしはか)古墳」(奈良県桜井市)と全国で唯一、同じ構造を持つことが近年判明した。箸墓古墳は宮内庁が立ち入りを禁じているだけに、五塚原古墳の調査を通じて、最初期の古墳の構造や王権の姿を読み解く手掛かりになると期待される。
市は2月、歴史まちづくり法に基づく計画(歴まち計画)認定を受け、長岡京の中枢が置かれた「歴史のまち」を前面に打ちだそうとしている。その上で五十棲敏浩副市長は「古墳時代の豊かな歴史遺産も残る。地権者の意向を聞きながら、史跡公園などの整備を進め、観光振興につなげたい」と意気込む。
長岡京市は、1981年に国史跡に指定された乙訓地域最大の前方後円墳・恵解山(いげのやま)古墳(勝竜寺、久貝2丁目)に加え、井ノ内車塚古墳(井ノ内)、井ノ内稲荷塚古墳(同)、今里大塚古墳(天神5丁目)が新たに指定される。
3基はいずれも古墳時代後期の6世紀前半~7世紀前半にかけて造営された。最近の調査で、井ノ内車塚古墳から須恵器や赤色顔料が混じった土が見つかった。同様の出土物が確認された他の2基と同じ横穴式石室を持つ可能性が浮上しており、今後の調査が注目される。
市埋蔵文化財センターの中島皆夫事務局次長は「古墳群として一体的に指定されることで、3市1町での調査情報共有が進むことが大きい。指定がこれからの調査の励みにもなる」と受け止める。
大山崎町では、鳥居前古墳(円明寺)が唯一指定される。全長54メートル、高さ8メートルの前方後円墳。古墳時代前期末の4世紀末~5世紀初めに築かれたとされる。69年に調査が始まり、竪穴式石室から鉄剣や勾玉(まがたま)などさまざまな副葬品が見つかっている。中でも、「巴(ともえ)形銅器」と呼ばれる副葬品は朝鮮半島南部でも出土例があり、被葬者が朝鮮と外交関係を持ったことがうかがえるという。
町教育委員会は「乙訓古墳『群』という価値付けによって、乙訓地域全体の連帯感を強めるツールにもなる」とした上で、「古墳は地域の歴史の象徴。今後は、公有地化も含め残していく責任感が増す」と話す。
【 2015年11月21日 10時03分 】