松左京さん宅に議事録
1970年の大阪万博開催に先立つ60年代、作家や芸術家、学者ら関西の文化人有志を中心に自由な立場で討議を重ねた「万国博を考える会」の議事録が、昨年7月に亡くなったSF作家小松左京さんの府内の自宅で見つかった。万博のテーマ「人類の進歩と調和」が打ち出された過程に迫る貴重な資料。吹田市立博物館で開催中の「小松左京写真展――宇宙に翔(はばた)く夢」で公開されている。(西田朋子)
発見されたのは、青焼き印刷の冊子や手書きメモ類など計10点(約100ページ)。非公式の集まりである同会については、小松さんらが回想記で言及しているが、詳細な中身は知られていなかった。
それによると、大阪万博の開催決定より11か月早い64年6月に、小松さんらが「準備会」として活動を開始。同年10月作成の趣意書には漫画家の手塚治虫さん、SF作家の星新一さんらも名を連ね、「民衆の知恵を結集し、見本市の規模を超え(開催後に)国連本部を誘致するくらい雄大なことをしないと人は集まらない」とある。
メンバーの一人で、当時、京都大学人文科学研究所助手だった評論家の加藤秀俊さんは、「大阪開催の博覧会が、東京の官僚に指導されるのは関西文化にとってまことに心外。大阪は民間主導で、という機運と切迫感があり、関西の学界の知恵を集めた『考える会』が発足した」と振り返る。
65年3月の「考える会」では、候補地として千里丘陵のほか大阪南港、琵琶湖畔、神戸港などを挙げ、来場者3000万人を見込んで新空港を含む交通網整備などの必要性を指摘。同年10月の「第1回総会」では、後にテーマ館展示プロデューサーに就任する芸術家・岡本太郎さんが「個人が部品化、分業化された近代社会において、未来に向けて個人を超えた芸術・作品を作り上げるとすれば、それは博覧会」と発言した。
こうした議論を踏まえ、人類学者の梅棹忠夫さんらメンバー有志が徹夜を重ね、翌月パリで開催される国際万国博理事会に向け、「テーマと基本理念」の草案をまとめたという。
吹田市立博物館の小山修三館長(国立民族学博物館名誉教授)は「学問は広く世界とかかわるべきだ、という60年代の刺激的な空気とメンバーの熱い思いが伝わってくる。現代の関西文化の原点を、多くの人に知ってもらえれば」と話す。
4月22日まで。無料。開館は午前9時30分~午後5時15分。4月2、9、16日は休館。問い合わせは同館(06・6338・5500)。
大阪万博
正式名称は日本万国博覧会。世界77か国と国際機関、都市、企業などが116の展示館を出展。70年3月15日~9月13日の会期中、約6422万人が訪れた。原始から未来に向かう生命の素晴らしさを表現するテーマ展示館は、地下展示場から高さ70メートルの「太陽の塔」内部を通り、大屋根の空中展示場を観覧する構造だった。
(2012年3月27日 読売新聞)