長岡京市教育委員会は本年度、京都府長岡京市天神の長岡天満宮に明治期まで存在した「開田御茶屋」の図面を復元する。安土桃山期に文人とたたえられた細川幽斎が古今和歌集の読み解き方を皇族に伝えたゆかりの建物で、将来は図面を基に往時の姿をコンピューターグラフィック(CG)などで再現したい考えだ。
開田御茶屋は本来、御所にあった八条宮の学問所だったと伝わる。1600年に戦国武将で当代随一の文化人だった幽斎がここで、皇族の八条宮智仁親王に、秘儀とされた古今伝授の解釈を伝授したことでも知られる。
建物はその後、八条宮家の領地だった長岡天満宮に移され、明治期に熊本の細川家へ下賜されるまで存在した。現在は「古今伝授の間」として、熊本市の観光名所になっている。
市は昨秋、長岡天満宮の開田御茶屋跡に古今伝授の間の石碑を建立した。さらに、市民が在りし日の姿をイメージしてもらいやすくするため、建物の精密な図面とイラストを作成することにした。
具体的には、熊本市にある古今伝授の間を解体修理した際に作られた図面と、長岡天満宮に所蔵されている開田御茶屋の図面を組み合わせ、平面図と立体図を作りあげる。
図面を活用すれば、将来的にCGや模型で建物を再現することも可能になるという。市教委生涯学習課は「多くの市民に、歴史にゆかりのある建物が身近にあったことを知ってもらいたい」としている。
【 2013年04月11日 10時15分 】
開田御茶屋は本来、御所にあった八条宮の学問所だったと伝わる。1600年に戦国武将で当代随一の文化人だった幽斎がここで、皇族の八条宮智仁親王に、秘儀とされた古今伝授の解釈を伝授したことでも知られる。
建物はその後、八条宮家の領地だった長岡天満宮に移され、明治期に熊本の細川家へ下賜されるまで存在した。現在は「古今伝授の間」として、熊本市の観光名所になっている。
市は昨秋、長岡天満宮の開田御茶屋跡に古今伝授の間の石碑を建立した。さらに、市民が在りし日の姿をイメージしてもらいやすくするため、建物の精密な図面とイラストを作成することにした。
具体的には、熊本市にある古今伝授の間を解体修理した際に作られた図面と、長岡天満宮に所蔵されている開田御茶屋の図面を組み合わせ、平面図と立体図を作りあげる。
図面を活用すれば、将来的にCGや模型で建物を再現することも可能になるという。市教委生涯学習課は「多くの市民に、歴史にゆかりのある建物が身近にあったことを知ってもらいたい」としている。
【 2013年04月11日 10時15分 】