京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

散策ー京都の御土居めぐり

2015-01-10 05:49:14 | 京都歴史散策

先日たまたまNHKを見ていたら、ブラタモリが放映されていました。
何気なく見ていると、どうも見覚えのある映像がでてきます。
京都の新京極や御土居をタモリさんが紹介していたのです。

私も北野天満宮を訪れ、近くの御土居を撮影し、ブログに投稿したところでした。
それで、昨日の散策は京都の御土居めぐりとしました。

まずは御土居の説明です。
御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が,長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲 に備える防塁と,鴨川の氾濫から市街を守る堤防として,天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築 いた土塁です。
台形の土塁と堀(堀の一部は川,池,沼を利用)からなり,その延長は22.5キロメートルに及び,東は鴨 川,北は鷹ヶ峯,西は紙屋川,南は九条あたりにそって築かれました。土塁の内側を洛中,外側を洛外と呼 び,要所には七口を設け,洛外との出入口としました。鞍馬口,丹波口などの地名はその名残です。
江戸時代になると天下太平の世が続き,外敵の脅威もなく御土居は次第に無用の存在となり,また市街地が 洛外に広がるにつれ堤防の役割を果たしていたものなどを除いて次々と取り壊され,北辺を中心に僅かに名残 をとどめるのみとなりました。
昭和5年(1930),市内に残る御土居のうち8箇所が,京都の沿革を知るうえに,また,広く我が国における 都市の発達をたどる重要な遺構として「史跡」に指定,昭和40年(1965)にさらに1箇所(北野天満宮境内)が 追加され,現在9箇所が指定地となっています。
また,これら指定地以外では,北区の大宮交通公園内や中京区の北野中学校内でも,部分的に御土居が残っ ています。

以上は京都市の説明文です。

応仁の乱で焦土のようになった京都の町をぐるりと土塁で囲んだ地図です。
黄色いところが洛中、それ以外は洛外です。
鴨川の東、観光で賑わう祇園や東山などは洛外でした。





現在史跡に指定されている9箇所
(1)北区鷹峯旧土居町
(2)北区大宮土居町
(3)北区紫竹上長目町・上堀川町
(4)上京区寺町広小路上ル北之辺町(廬山寺内)
(5)中京区西ノ京原町
(6)上京区馬喰町(北野天満宮境内)
(7)北区平野鳥居前町
(8)北区紫野西土居町
(9)北区鷹峯旧土居町

まず私が向かったのは鷹峯です。
鷹峯街道、この突き当たりに源光庵や近くに光悦寺があります。





街道沿いに説明板が立っています。
北区鷹峯旧土居町です。




フェンスに囲まれていますが、御土居とよくわかります。











道路の向かいの住宅地入っていくと、御土居の跡が見えます。
ここも北区鷹峯旧土居町です。





次は北区大宮土居町の御土居です。
ここも土塁というのがよくわかります。










次は指定地以外ですが、大宮交通公園の中にあります。





説明板です。














次は堀川通りに面した加茂川中学校の近くにあります。
北区紫竹上長目町・上堀川町 です。















背景の建物は中学校です。





次は河原町通り、京都府立病院の向かいにあります。
上京区寺町広小路上ル北之辺町(廬山寺内)です。










最後は西大路御池の近くの神社のなかにあります。
御土居は江戸時代、つぎつぎ取り壊されましたが、神社が建てられていたため、
残ったのだと思われます。 中京区西ノ京原町 です。




















先日紹介した北野天満宮と平野鳥居町の御土居を再掲しておきます。


北野天満宮の御土居









平野鳥居町の御土居





京都の御土居の史跡いかがでしたでしょうか。
実は私は平安時代の遺跡を訪れるのも好きなのです。
また機会があれば、ブログでも紹介したいと思います。