今年はアルコールゼロ元年になりそうだ。
Sober Curiousを実践して5ヶ月になろうとしている。お酒の無い日常の食事は、高校生の頃に立ち返ったかのようだ。去年までの60回の年越しは、毎回お酒にどっぷり浸かっていた。お酒の無い年越しなど、異文化の最たるものと捉え、自分に最も相応しくないと考えていた。
Sober Curious(ソバーキュリアス)という言葉は、ルビー・ウォリントンというイギリス人の記者が造った言葉だそうである。
『飲まない生き方』と邦語訳本も出版されているが、この書名ではcuriousをつかった造語の真意は伝わらない。禁酒や断酒との根本的な相違を直截に示していない。キイワードは「好奇心」。
顧みると、老生の飲酒嗜癖の長さには、ただ慨歎のほかはない。
ビール・日本酒・ワイン・ウイスキー・ジン・ウォッカ・焼酎など、和洋酒の酒瓶が叢生する草原が想像できる。草原を抜けてみたら、思いもよらない晴朗な生活が待っていて驚いた。
この生活は健啖のひと言に尽きる。何を食べても美味しく、食欲は旺盛にならざるを得ない。肥る質の人は困るだろう。
生活時間から酩酊時間が無くなるので、嫌でも生活の生産性は上がる。自律神経が安定するためか、睡眠の質が向上した。家族も内心歓迎してくれている。酒類への支出がゼロになり、孫たちへのプレゼント・お年玉の額がアップした。
だが私は、Sober Curiousの考えを、人に奨めようとは思わない。
人類に具わった大きな愉しみ欣びの飲酒を満喫しないのは、自然の理に叶わないと考えるからである。不自然なことは人様に推奨したくない。
酒と肴を味わう愉しみは、人間のもって生まれた官能を最大に活かすことであり、酔いを伴う社交は、束の間のものでも歓びが大きい。
soberでいることにcuriosityを覚えるのは、ある意味飲める人間の嗜好に逆らい不自然である。
「飲まない生活」といっても、禁酒・断酒というストイックでネガティヴな概念と、Sober Curiousというポジティブな意欲とは、考え方において180度の違いがある。後者は好奇心に衝き動かされているのである。sober(しらふ)の生活を観察したいのである。
子供の頃から持て余していた旺盛な好奇心が、まさかsober(しらふ)への興味に向かうとは、思いも寄らなかった。
長い間熄むことなく私を衝き動かしてきた好奇心だが、漸く収まりどころを見出したようだ。酔と無縁の老境の開拓、興味は果てしない。
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