「むさい」という言葉がある。
「爺むさい」は今もよく耳にする。「爺」は即むさいのであるが婆はむさくない。大変な違いである。
意地悪婆さんが居るのに意地悪爺さんは居ないのと同じ。男女で好対照を示す。
「むさい」は
① 意地や欲が強くて、心がきたない。
②きたならしい。きたなくて気味が悪い。不潔である。
むさいに苦しいが付いて「むさ苦しい」まである。どうしてそうなるのか?
女性は幾つになっても身綺麗にしているが、男性は社会生活を離れると、外見に無頓着になりがちである。それが「爺むささ」を招き寄せてしまうのである。
先ず無精髭、そして鼻毛・耳毛の3点セット。頭髪も手入れをしなければ「むささ」を助長する。
次にアウトフィット。現役時代、気を遣うのはスーツとゴルフウェアぐらいだった人が危ない。普段着はどうでも良いという人である。
フォーマルはともかく、カジュアルとなるとセンスが必要だ。奥さんに訊かないと、衣服を自分で決められない男性は、まだ日本に沢山居る。
これでは退職後まっしぐらに爺むさくなるのは避けられない。
団塊の世代以降の人々が多数になった今日、爺むさくない、垢抜けたシニアが多数派になりつつある。彼らは若い時から、アウトフィットに気を遣う人たちだった。そういう時代に育った。自分にフィットした服装を選択することができる人たちは着実に増えている。
儒教国家のわが国では、敗戦まで、男子が服飾などに気を遣うのは、最大の恥とされ戒められてきた。いつもの口癖になるが、中国由来の悪弊、精神に重きを置く考え方が元凶である。これが、男子の服飾への関心をなおざりにさせて来た。
それでは服飾センスは育たない。「爺むさ」の予備軍になるしかなかった。旧弊の思想で育った人たちに爺むさい人が多くなるのはやむをえない。
テレビの映像で西欧の政治家と日本の政治家との会見を視ると、いかに相手方が本家本元とはいえ、垢抜け方の違いに驚く。日本の政治家は歯が立たない。まだまだわが国は、服飾後進国である。
あっという間に「むさく」なるのが「爺」という種族である。自戒を忘れず、日頃から気をつけていなければならないと思う。
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