男女の間柄ほど理屈に合わない関係も珍しい。恋愛感情は常に理性を凌ぐ。人間同士の関係で、およそ恋愛関係ほど不条理な男女関係もない。
長い期間交際していても、どちらかの恋情に熱が感じられないのなら、恋愛は終わっているのだろう。早々に仕舞う方が双方の為である。
相手の情熱が感じられない交際は、恋の泉のほとりをただグルグルと廻っているに過ぎない。それでは愛は芽生えない。
男女の恋愛は、それが終生継続するものでありたい。恋の始まりに太い薪を焚べ、情熱の盛大な炎を燃やして好い熾火をつくることが大切である。炎は永く続かないが熾火は長保ちする。始めからチョロチョロとした焚火では熾は出来ず、晩年までの情熱を保てないだろう。中途半端な焚火は駄目である。
恋の始めが、キャンプファイアーのような、盛大な炎でなくては、とても半世紀以上の熱を保つ熾火はつくれない。男女の仲は、情熱が冷めたらお仕舞いなのである。多くのカップルを見てきたが、老いてなお熾火を保ち続けるふたりには、必ず盛大な炎を共有した時期があったはずと、私は勝手に推測している。
かつてベルギーのオーステンドの海岸で見かけた老夫婦の、絵画のような情景を思い出す。唐突にベルギーにワープして恐縮だが、南国に比べ光の乏しい背景ならではの光景だったので、印象が深かった。ご勘弁願いたい。
北海に面した海岸は、夏でも気温が低かった。鈍色の海に向かってレストランが建ち並ぶ、大通りと砂浜の間の遊歩道を、高齢(と思しき)のカップルが散歩していた。その頃の私たち夫婦は40代だった。
大柄な男性が、小柄な女性を壊れものを扱うように大切に抱き支え、ゆっくり労わりながら歩いていた。
女性は脚に故障があるようだったが、介護者の腕に全身を委ね、少しずつ歩を進めていた。
日本ではほとんど目にすることのない、老齢男女の自然な姿だった。
我々モンゴル系と比べ、男女の体格差の違いが大きい白人だからこそ、現れた光景だったのかもしれない。日本人だったら、人目を憚る弊習が災いして、到底彼らの様には成らないだろう。
歳月が醸成した、情感溢れる二人の姿は、我々夫婦の目に鮮烈に灼きついた。
熾火を欠いた男女の関係は、それがどんなに熱烈な時代を経ていても、虚しさ辛さ冷淡さを招き寄せてしまうに違いない。老いて熱が冷めたことを、至極当然としている例があまりに多い。これは私たちの数ある弊習の中でも最も嘆かわしいもののひとつであるように思う。
盛大に燃え上がらない恋は、永く熱を保つことが難しい。恋は炎をあげることなど束の間のことで、熾火になってからが長い。くどいようだが、熾火をつくるためには、最初に太い薪を焚べなければならない。
勢いよく燃え上がらない時は、薪が細いか湿っているかのどちらかで、恋は不調を免れない。さっさと解消するのが双方のためだろう。
若い時の恋は、周りに顰蹙を買うくらい盛大な方が、後々の関係には好いと思う。恋愛至上主義者としては、若い人たちに陰ながらエールを送りたい。
大人が若い者の恋に容喙したり邪魔するのは、厳に慎まなくてはならない。