自負は貯金と違って、老後の生活の支えにならないことを身をもって知り、たじろぐリタイア世代は少なくない。現役時代は、自負が自分を支えていたのだが・・・
いや私のは自信で自負ではないと胸を張る人がいるが、他人から見れば見分けはつかない。
自負は本人だけのもので、他人には何の価値もない。もともと自負は主観だから、社会とは更々関わりがない。人は退職後と雖も社会とのつながりは消えないが、相互に自負の乗り入れを宥し合う関係は、会社や団体を離れると消滅するものだろう。
自負心の強い人は一言でいうと自惚れ屋だから、現役時代は他人の自負心との競合が盛んだったに違いない。それが仲間との真の融和を妨げ、関係を歪めていた事実に、リタイアして初めて気付く。会社に組織に、依拠していた習性を脱しないと、その部分は見えてこない。
自負や自尊をもってこの世に生まれてくる者は居ないのだから、その人の本性とは何ら係わりのないもの、そんなものは始めからもたない方がよかったのである。何の役にも立たない無用のものである。それでもなお、未だに自負にしがみついて、晩節を独善とその結果の索莫で過ごすのは虚しい。自負は独りよがりな、独善へ陥る階段の手すりである。
自負に替わり老後を支えるものは何か。それは心中に蓄えられた感懐ではないだろうか?
感懐も自負と同じ個人のものだが、その人の情操の中核を成している。
老境にならなければ、自負を捨てた後でなければ、感懐を深めることは出来ない。感懐こそが、独善や孤独を寄せ付けないバリアだと思う。
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