道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

見切り千両

2018年04月24日 | 随想
過去に有能であり功績があったのに、老いて判断を誤り、晩節を瀆してしまった人たちが、次々とテレビに登場し、新聞・週刊誌の紙面を賑わしている。国の統治機構の要路にある人たちの、国民を蔑ろにする弁明や居直りの強弁には、ウンザリする。
 
彼らは、生来主観的に自他を見るしかできない人間ではなかったかと推察する。
若い頃にはその性質がプラスに働き、積極性と外向性、更には実行力の推進源となって大いに自身のステップアップに寄与した筈だ。その成功体験が、自負心を肥大させ倨傲に繋がる。
 
だがその肥大した自負心が、老いては過去の栄光を蝕む最大のマイナス因子になることを、警戒していなかった。主観に自信をもち、かつて属していた組織の論理を墨守してさえいれば、老後の人生に何の曇りも出ないと堅く信じて今日に至ったのだろう。国民大多数の良識と乖離した言動・行動の素因は、そこにあると思う。
 
主観で凝り固まっていても、問題の理解と判断が他から見て的確である間は、周りから高く評価され信頼は揺るがない。ところが、老いは無差別に忍び寄る。それによって過誤が多くなると、これまでの自らを省みない気質のために、欠陥に気がつかず軌道修正できない。他人も勿論注意などはしてくれない。気がついたときには、危険ラインを越えている。
 
見切り千両という言葉が西鶴の「日本永代蔵」にある。見切りは、損失を被っても債権を果断に処分すること。損を厭わず、本体の保全を図る態度だ。それには、客感的な状況判断が欠かせない。過去の成功体験で固まった主観が客観視を妨げ、老いが彼から果断という長所を奪い去ったために、見切りを困難にしてしまっている。
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