芸能人の逝去があると、故人を知る業界の人たちの哀悼のコメントをメディアが一斉に伝える。各人の関係は濃くも薄くもあるのだろうが、そこは人気商売の芸能人、自らの好感度アップを意識してインタビューに答える人もいる。故人の優れた行為や言動を披露したり、恩恵を受けたり感動したエピソードを、伝聞も含めて披露する例が多い。
追悼の辞というものはそういうものだと言えばそれまでだが、そのようなコメントには、切々たる思いが欠けている。
故人を惜しむ人の心からの哀しみは、言葉にならないものだ。口から出れば空疎なものになる。まして文章に綴れば潤色に傾く。大切な人の死の直後というものは、考えがまとまらないのが普通である。
人の死に当たって、多弁を弄する輩には注意をしなければならない。「巧言令色鮮(すくな)し仁」と孔子は言ったそうだが、芸能人の物故に対する同業者への追悼インタビューは、その実例に事欠かない。我々一般人もインタビューされれば、彼らと同様であるに違いない。
渡哲也さんが亡くなった。はにかむ笑顔に独特の魅力がある俳優だった。
先に逝った弟の渡瀬恒彦さんも卓れた俳優だが、較べれば、映画やドラマで見る兄の渡さんは、目に人懐こさが顕れていた。
古い話で恐縮だが、学生の頃住んでいた私鉄線の沿線に遊園地があって、そこにプールがあった。
ある時、プールに泳ぎに行ったら、隣のロッカーを当時新人の渡哲也さんが使っていて愕いた。ロケでもあったのだろうか?
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