旧い時代に儒教の洗礼を受けた東北アジアの中・韓・日3国の社会には、合理性と実証性を缺いた儒教思想に由来する不条理な権威主義・形式主義が蔓延し、3国の一般庶民の心裡に、長い間鬱屈の思いを澱のように沈潜させ続けて来たように思う。
個人を自縄自縛に陥れる教条の数々によってもたらされた鬱屈が、広く社会の各層に蟠っていたと観て差し支えないだろう。儒教の精神は、社会を開明し人々を闊達にする方向には導かず、逆の方向に向かわせた。
その鬱屈の思いは、人々を自縄自縛に陥れ、自然に浄化消滅することなく、3国各民族の特性と擬せられるほど社会に影響を及ぼし、累代に亘り積もり続けて来た。
極端な家族主義や、恋愛を不義と見做す偏見、滅私奉公の忠義の押し付けなど、儒教精神に由来する不条理なものの考え方や行動規範は枚挙に遑ない。
「儒教統治システム」による大衆支配に馴致させられた人々は、国家権力に隷従し、権威や権力の意向に反したり逆らったりすることを極度に怖れるようになる。
為政者に対する反発や抵抗を極力避け、従順・盲従を庶民の美徳と考え、過激な社会行動を自制して来た。
儒教はその教学の範囲に、経済や生産・製造など、科学に基づき創造に連動する実証学を含まない。修学の主体は、観察や実験・分析を伴わず、単なる文献考証や机上で考察された観念論の習得である。
人間の自由な発想と行動を制限し、庶民に対して権威への盲従を強いて社会の秩序と安寧を図る。庶民のささやかな幸福を押し上げるのでなく、権威と前例踏襲で抑圧し続けて来た。
儒学は哲学・科学としての学理を構築するに至らず、謂わば人民統治に必要なノウハウの単なる集大成であったと見ることもできる。
国家権力に従順でありながら、儒教統治システムによる被支配の不公平や不平等に対し漠然と不満を抱き、心の奥底に鬱屈を溜め込んでいた一般庶民が、鬱屈を一挙に払拭することができるものは何か?それは、社会の発展ではなく、個人的栄達である。
儒教社会は「一家眷属」という血縁集団の紐帯が極めて強い。一家眷属とは儒教的家族集団の謂であって、その血縁集団の各構成員のひとりの個人的栄達が、集団全体の鬱屈を一挙に払拭するのである。血縁集団の個人的栄達は、縁故主義とも強固に結びつく。
その集団の中の個々人の栄達が、血縁集団の構成員全体の鬱屈を画然と取り払う作用をするのである。栄達とは単なる社会的地位の上昇でなく、権力を行使できる実力を伴うものでなければならない。世に出ること、世に知られることだけでは十分でなく、自分の意志を押し通し、それを外部に知らしめる力がなければ、一家眷属の鬱屈は取り除けない。その結果、儒教社会の権力闘争は極めて執拗で陰湿な形を取る。個人の背後にいるそれぞれの血縁集団を巻き込んで、権力闘争は止まることなく続けられる。
中国の歴史に限れば、庶民の栄達とは、常に科挙の試験に合格し官職に就くことだった。隋の時代以降清代に至るまでの歴代王朝1300年の歴史は、「科挙試験」と共にある。この難関を突破することは、庶民が士に成る唯一の関門である。王権を支える人材として登用されることが栄達である以上、是が非でも科挙試験に合格することが必須の条件だった。
学究として任意の分野の専門家に成ることは、権力の掌握を伴わない。それではダメなのである。科挙試験という国家試験に合格しなければ、道は栄達に繋がらないのである。
どこの国でもどの民族でも、学問に対する崇敬の念は高く、学歴は重んじられる。ただこれら儒教3カ国の学歴に対するall or nothingぶりは尋常でない。近代化以降これまでの中国の大学受験競争の熾烈さは、世界中に知れ渡っている。少子化中国の、有名大学入学が全てという価値観は、科挙試験の残影と見ることができる。「複線型教育」のヨーロッパでは見られない、極めて単純で硬直した価値感である。
大学教育の歴史の短さも、要因のひとつだろう。日本も韓国も、多少の違いはあれ,これに近いものがあった。
20世紀から21世紀にかけて、これら儒教3国は飛躍的に経済成長し、企業は繁栄、庶民の所得は向上した。少子化政策の中国では、際立って庶民の子弟の大学進学熱が高まった。大学受験への意欲は、当の受験生ばかりか大学教育を受けていない親世代に熱烈だった。
日本にも大学受験競争が激しかった時代があった。一流大学の合格によって我が子は生まれ代わると宣った母親がいた。
「子どもの大学入学(勿論有名大学)とは、産みの我が子が自らの努力で生まれ変わることである」と自伝に書き記したその母親の言葉に、慄然とした憶えがある。それほどに、昭和40年代の日本の親たちは、子弟の有名大学入学を重要視し,大学卒に過大な期待をしていた。因みに彼女並びに彼女の夫は、大学へ行っていない。
親たちがそうだから、当の子弟たちもその影響を受けるのは当然である。志望大学に入学すると、自分がそれまでと違う別の人間に生まれ変わったような気になる。昨日までの自分と変わりがあろうはずはないのだが・・・彼は社会に出れば学歴主義を引き摺り続けるだろう。
このエピソードは、その時代までの社会に溜まった鬱屈の大きさを、雄渾に物語る。
ある時代まで、日本・韓国・中国の親たちは、我が子の進学によって鬱屈を晴らす情動を共有していたと見ることができる。
同じ年代に某有名私立大学に入学した息子の父親が亡くなった際、その息子の妻が「お義父さんも(息子の大学入学によって)好い思いをしたはず」と語っていたことも、鬱屈の解消に子弟の大学進学が深く関与していたことを伝えている。
鬱屈の解消を潜在的に子弟の個人的栄達に求める親たちには、その後に傲慢が待ち構えている。自らの力に拠らず、子弟の向学心に基づく勤勉と努力で見事に鬱屈を解消した親たちが、不遜の心性を帯びて来るのは当然であろう。
不遜は、長い鬱屈の裏返しである。厚い欝屈の暗雲が晴れた先には、必ず不遜の黒雲が垂れ込めるのである。
鬱屈は社会の権威主義に根ざしているので、権威を見つけるとそれを拠り所とする。欝屈と不遜とは、表裏の関係にある。交互に個人の潜在意識の中でその様を変える。
欧米社会とは画然と隔たるこの3国の社会に共通する複雑さは、明らかに儒教に起因していると思う。国際的にも特別視されている違和感は、ひとことで言うと、以上の事情に因るものと思われる。
人間というものは、不満というものと縁を切れない生き物である。日常生活を通して、大小様々な不満を抱え、それらの不満が心の底に沈潜堆積し、鬱屈を招く。人は欝屈を抱いて生きる生き物のようである。社会的・経済的・身体的な不満が積み重なり、欝屈はそれぞれの人の心に蟠る。
欝屈を裏返すと心は晴れるが、その後に不遜が居場所を見つけ住み着く例は多い。
ストレスが一過性の刺激なのに対して、鬱屈は継続的連続的に発生して心奥に沈潜する。まさに澱のようなものである。
鬱屈の程度が強ければ強いほど、その思いを抱く期間が長ければ長いほど、反動のエネルギーを蓄積させる。
なぜ鬱屈が溜まるのか?それは、儒教社会での常の生活において、精神が解放される機会が少ないからである。権威主義と形式主義と非合理性が、人々の精神の解放を妨げ、常に自縄自縛に陥らせているからである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます