私たちは毎日考えながら暮らしている。瑣末なことから重大・深刻なことまで、頭は休みなく考えていると云ってもよいだろう。そうだとすると、考え方の基軸というものが大切で、それにズレやクルイがあると、どんなに思慮・思案・思考を累ねても、正しい結論を導き出すことは出来ない。
それはちょうど、基盤の不整な処に楼閣を築くようなものである。基軸のズレた考え方から導かれる結論が、良い方が結果をもたらすはずがない。
考え方の基軸を過てば、そこから生まれる発想は悲劇の序幕にしかならない。真珠湾攻撃も特攻隊も、優秀な専門家たちの基軸のズレた考え方の所産である。誤った思想・主義・教条など、世の中には人の考え方の基軸を狂わせるものが満ち満ちている。信じやすい善良な人々が危ない。
私たちは何かを考えるときに、無意識にチェックリストを脳裡に浮かべている。そのリストの正否が、結果の明暗を決定する。
したがって、物事を考えるときには、私たちは発想に誤りがないかどうかのセルフチェックをすることが欠かせない。私情を交えず、機械的にかつ厳正にチェックすることが肝要だ。
□人に迷惑をかけない
□自分の意思に反しない
□事実を隠蔽や歪曲しない
□虚偽・虚飾をしない
□自利・自尊に陥いらない
□増上慢に陥らない
□弱者に犠牲を強いない
□秘密と係りをもたない
□寛容性を至高の徳義とする
□首尾一貫している
□合理性・論理性を失わない
□快活・闊達である
□責務を等閑にしない
以上をチェックし、これらを全てクリアしていれば、考え方の基軸はほぼ調っていると見て、自分の判断や理解を信用しても良いと思う。もし、チェックに瑕があれば、それを改めないと、自らの思考から正論を引き出せない。
考え方の基軸を正しく保つこと、発想を誤らないことは難しい。個人なら可能でも、集団の考えをまとめるとなると、障害が多く発生する。
会議という合議制度により、個人の考えの間違いや偏りを排除しようとはかる計る方法はあっても、発言者の地位と発言の重みに差異が伴う以上、彼の誤謬を正すことは困難極まりない。特にこの国には、官僚組織を中心に〈無謬性の神話〉という絶対的幻想が未だに生き遺っている。お上は誤らないと、人民を謀り続けてきた名残りである。
人類が歴史的な判断ミスを下してきた根本的な素因は、誤った考えを糺すシステムを構築することができなかったからである。
コロナ・パンデミックの現状も、後世から見れば、判断の過誤、発想の誤りの集積ということになるのだろう。