人は歳をとるにつれ、時に遠くを見る眼差しを見せるようになる。働き盛りや若者たちには決して見られない眼差し・・・。
私は幼い頃、年寄りと居てふと気づくと、相手が自分を見ていないときに、何処か遠いところを見る目をしていることに気づき、訝しく思ったものだった。(いったい何処を?何を?見ているのだろう・・・)
今その年寄りになってみて、それが分かってきた。年寄りの遠くを見る眼差しは、過ぎ去りし日々と先の知れない行く末であったに違いない。その両方を慥かめようと、いつも目を凝らしていたのだった。過去は霞の彼方に遠ざかり、未来は立ち込める霧で見通せない。過去を回想し、未来を予見しようとする眼差しであったに相違ない。
私は幼い頃、年寄りと居てふと気づくと、相手が自分を見ていないときに、何処か遠いところを見る目をしていることに気づき、訝しく思ったものだった。(いったい何処を?何を?見ているのだろう・・・)
今その年寄りになってみて、それが分かってきた。年寄りの遠くを見る眼差しは、過ぎ去りし日々と先の知れない行く末であったに違いない。その両方を慥かめようと、いつも目を凝らしていたのだった。過去は霞の彼方に遠ざかり、未来は立ち込める霧で見通せない。過去を回想し、未来を予見しようとする眼差しであったに相違ない。
青壮年の人たちが決して見せない眼差しを、私たちは孫たちに気づかれているのかもしれない。
未知の真っ只中に在る孫たちには、その眼差しに親しみがもてるのだろう。老人と子どもは仲が良い。親たちと違う目つきに、安心できるのではないだろうか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます