明治の学制発布により、浜松市に初めてできた小学校が、歴史の幕を閉じて小中一貫校に吸収された。
市街地に在った小学校の生徒数が激減し、数校で合併せざるを得なくなったのだ。戦後の出生率激増時代、生徒で溢れていたこの小学校に通った卒業生たちも今や翁嫗。雑草繁る校門のアプローチに、時の迅さを痛感する。
日本では、各地の最初の小学校の多くが、旧幕時代の城域内に建てられた。
この小学校も例外でなく、当初は旧大手門近く、それが戦災で焼失して旧二の丸に移転した。所在地そのものが、貴重な歴史遺産である。まさかこのままで放置されることはないだろう。
ところがこれと対照的に、老生が学齢前に通った幼稚園は、往時を凌ぐ盛況ぶり。園地は広く、建屋は高く大きく遊具も増え、園児たちの賑やかな声が辺りを圧していた。通園していた戦後間もない当時より数倍発展していた。
未来の社会を担う幼児たちの、活力溢れる行動は、いつまで見ていても見飽きない。遠い昔とはいえかつて其処で、目の前の園児たちと同じように遊んでいた自分を想像するだけで、活力が蘇る心地(あくまでも心地だけ)がする。
感傷は文字通り傷であって、人の心の健康を損なう素である。老人は、清新で元気があり、活力に満ちた、愉快で感動的な場面と成るべく多く接することが、大切であると改めて感じた。
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