忘れてならない記録は書き留めておこう。敗戦から数年(1948年ごろ)後の、私が小学校に入る前のことである。連合国軍占領下の日本では、米軍の被占領国民宣撫工作の一環として、進駐軍兵士に菓子をもたせ、それを街角で子供たちに配布したり、移動中の軍用車や列車から散布したりした。私の家から約300mのところに東海道線の踏切があった。浜松駅のプラットホームから西へ約300mの地点に在るこの踏切は、上り下りの列 . . . 本文を読む
正月が近づいて来た。今年はコロナ禍で、正月三が日に初詣客が集中しないよう、神社への参拝は年内でも来年でも随意の時でよいと、神職がテレビのインタビューに答えていた。分散参拝はこれまで聞いたことがないが、国家の危急の時となると、そこは神様、物分かりが良い。融通無碍、それが神道の好いところだろう。日本人は初詣をしないと、新年を迎えた気がしない。それだけ、神祇信仰が心の基層に染み込んでいると思う。800年 . . . 本文を読む
近所に住む息子が、休日の散歩の途中に立ち寄った。2児の父である。ちょうど夕食を始める時だったので、はからずも父子(おやこ)の飲み会となった。同居の兄息子は惜しくも酒が一滴も飲めないので、来訪した弟息子と酒を酌み交わすのが私には嬉しいひととき。時勢のことは若い者に訊くのが一番だ。しかもこの息子は30代の頃、それまでビール・ワイン党だった私を、日本酒それも越後の酒に開眼させてくれた先達である。久しぶり . . . 本文を読む
これでも若い頃は、ご多分に漏れず情熱の炎が熾んで、思い焦がれたり、懊悩に夜も眠れず、食も細ることがあったような記憶が朧げながらある。シャイな癖にアグレッシブというのは誤解を招きがち。愧じ多き時代のことは、懐かしくもあり、忘れたくもある。熱の発生が著しく減った現在では、その頃いったいどのような情動に衝き動かされていたのか、漠然としか思い出せない。どうしてもその時の実感が甦らない。人間は熱がなくなると . . . 本文を読む
どうしてこの国は、論理性に缺ける行動を、歴史に連綿と刻み続けるのだろう。誰の目にも国会の審議が必須であるとわかっていながら、権力者個人の恣意で国会を閉じている。それを許す政治風土は、凡そ民主主義とは異質のものである。この政治風土の由来するところは、論理を尊重しない「情実志向」と「事大主義」にある。事大主義の社会には自由な市民は存在せず、闊達な議論の場が拡がらない。1955年以来政治を担って来た自民 . . . 本文を読む