中曽根康弘
歴代首相で11回の靖国参拝記録をもつ佐藤栄作に次いで
10回も参拝している。
1985年に内閣総理大臣として公式参拝。
だが翌1986年は後藤田官房長官の圧力に屈し、
更に胡耀邦の中国共産党内での立場に配慮し参拝中止までしている。
国会議員勇退後にはA級戦犯分祀推進や小泉総理の参拝反対など大きく主張を転換していく
稲田朋美などが閣僚入りすると急に靖国色がトーンダウン
してしまうが
2006年春、稲田朋美率いる保守派政策集団伝統と創造の会に
講師として招かれた際は小泉総理の靖国参拝を期待する稲田ら新人代議士達に
「個人的信条も大事だが、それ以上に国家的利害も重要だ」
とたしなめたことがかなりその後の自民党議員に影響を及ぼしたに違いない。
新藤義孝総務大臣のような有名な英霊を家族にもつものさえメディアの視線は厳しい
中曽根の言葉「国家的利害」の影響力は未だに健在なのである
歴代2位の参拝回数をもつ中曽根が手のひらを返すその力の裏付けは
やはり、その生い立ちを見なければ理解出来ないだろう
大正7年生まれで
1941年(昭和16年) - 東京帝国大学法学部政治学科を卒業後内務省に入るが、
海軍短期現役制度により海軍主計中尉に任官。
広島の呉鎮守府に配属され第二設営隊の主計長に任命される。
終戦時は海軍主計少佐。終戦後、内務省に復帰。
東大出身のエリート官僚が戦争に巻き込まれていく
開戦当時24才であるから東條57才の世代は父親と子の開きがあるから
巻き込まれていくと言う表現は正しいだろう
海軍主計であるが軍の経理を行う部署だが、慰安所の設置などもやっていたらしい。
戦地の実戦で戦う者と比べれば天地雲泥なのかも知れない
想像でしかないがこれだけプライドが高い血気盛んな世代はおそらく大戦に対して
加担しながらも何処か冷めた一面をもっていたのではないかと思う
その世代の隔たりが陸海軍の隔たりとなり戦いが続けば続く程解離していったのでないか
私はこの隔たりが後の特攻批判や軍上層部批判と繋がり
当事者でもある中曽根、彼より6才も若い渡辺恒雄の東條批判に傾倒していく根本原因
にこの隔たりがなっているのだと確信する。
非情だがこの大正生まれが存命な限り彼等の軟弱さを批判し
正しかった日本を主張し取り戻す人物など皆無なのであろう。
では何が正しかった日本を取り戻し得るのか
ただひとつ、国民の世論でしかなし得ないのだ。
深い隔たりは世論でしか超える事は出来ない。
歴代首相で11回の靖国参拝記録をもつ佐藤栄作に次いで
10回も参拝している。
1985年に内閣総理大臣として公式参拝。
だが翌1986年は後藤田官房長官の圧力に屈し、
更に胡耀邦の中国共産党内での立場に配慮し参拝中止までしている。
国会議員勇退後にはA級戦犯分祀推進や小泉総理の参拝反対など大きく主張を転換していく
稲田朋美などが閣僚入りすると急に靖国色がトーンダウン
してしまうが
2006年春、稲田朋美率いる保守派政策集団伝統と創造の会に
講師として招かれた際は小泉総理の靖国参拝を期待する稲田ら新人代議士達に
「個人的信条も大事だが、それ以上に国家的利害も重要だ」
とたしなめたことがかなりその後の自民党議員に影響を及ぼしたに違いない。
新藤義孝総務大臣のような有名な英霊を家族にもつものさえメディアの視線は厳しい
中曽根の言葉「国家的利害」の影響力は未だに健在なのである
歴代2位の参拝回数をもつ中曽根が手のひらを返すその力の裏付けは
やはり、その生い立ちを見なければ理解出来ないだろう
大正7年生まれで
1941年(昭和16年) - 東京帝国大学法学部政治学科を卒業後内務省に入るが、
海軍短期現役制度により海軍主計中尉に任官。
広島の呉鎮守府に配属され第二設営隊の主計長に任命される。
終戦時は海軍主計少佐。終戦後、内務省に復帰。
東大出身のエリート官僚が戦争に巻き込まれていく
開戦当時24才であるから東條57才の世代は父親と子の開きがあるから
巻き込まれていくと言う表現は正しいだろう
海軍主計であるが軍の経理を行う部署だが、慰安所の設置などもやっていたらしい。
戦地の実戦で戦う者と比べれば天地雲泥なのかも知れない
想像でしかないがこれだけプライドが高い血気盛んな世代はおそらく大戦に対して
加担しながらも何処か冷めた一面をもっていたのではないかと思う
その世代の隔たりが陸海軍の隔たりとなり戦いが続けば続く程解離していったのでないか
私はこの隔たりが後の特攻批判や軍上層部批判と繋がり
当事者でもある中曽根、彼より6才も若い渡辺恒雄の東條批判に傾倒していく根本原因
にこの隔たりがなっているのだと確信する。
非情だがこの大正生まれが存命な限り彼等の軟弱さを批判し
正しかった日本を主張し取り戻す人物など皆無なのであろう。
では何が正しかった日本を取り戻し得るのか
ただひとつ、国民の世論でしかなし得ないのだ。
深い隔たりは世論でしか超える事は出来ない。