天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

戦争責任(安倍談話風)

2017-12-02 06:29:08 | 時事

南京大虐殺
731部隊
慰安婦

朝日新聞を代表するように、何故この日本には自国の旧軍隊を悪く評価し、それに輪を掛けて上記の悪行を肯定する日本人が多く存在しているのでしょうか。

何故、原爆を二発も落とされ大空襲で一般市民30万人が焼かれねばならなかったのでしょうか。

また、この戦争で犠牲になった250万人の日本兵が祀られる靖国神社が問題視されるのでしょうか。

19世紀の日本の周辺、とりわけ太平洋に面したアジアの国々は西洋諸国を中心とした国の広大な植民地となっていました。その圧倒的な技術優位の危機感が、日本にとって、近代化の原動力となりました。

日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけ、世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。

世界大戦は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でしたので、人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。この時点ではまだ日本軍はいい軍隊です。

当初は、日本も足並みを揃えましたが、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進め、日本経済は大きな打撃を受けました。

その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まり、満州事変、そして国際連盟からの脱退 、ABCD包囲網の経済封鎖は戦争行為に等しく、コミンテルンは暗躍し、国際社会が犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」からの壮絶な挑発により日本は、次第に、進むべき針路が限定され、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十二年前。日本は、終戦しました。

先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。

終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。

広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、各国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十二年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、「虚構の罪」或いは「相手国の罪」まで清濁合わせ呑み、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちに変えて表明してきました。

その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

つまり敗戦とは日本軍の加害性の有無大小に関わらず全ての戦争の責任を受け入れざるを得ない、それが少なくとも70年以上は継続してしまう経験をしてきました。

この戦争の罪を「悪辣な日本軍」或いは「軍国主義」という名の実態の無い藁人形に責任を転嫁したからこそ成し得た事かもしれません。日本軍は悪くなかったのです。

では今後100年1000年と戦争など経験していない世代となった世界の中で謝罪し続けるのか、また虚構の歴史を認め続けるのかとの問いに対して日本自身が結論を下すべきではないでしょうか。