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『ことし2月末から3月初旬にかけて、皇后と共にベトナムを訪問しました。
わが国とベトナムとの関係は、近年急速に進み、国家主席始め多くのベトナムの要人がわが国を訪れていますが、私たちがベトナムを訪問するのは、初めてのことでした。
ベトナムでは、現在の国家主席御夫妻を始め、4人の指導者に丁重に迎えられ、また、多くのベトナム国民から温かい歓迎を受けました。両国間の緊密な関係に深く思いを致しました。
ハノイにおいて、先の大戦の終了後もベトナムに残り、ベトナム人と共にフランスからの独立戦争を戦った、かなりの数の日本兵が現地で生活を営んだ家族の人たちに会う機会もありました。
こうした日本兵たちは、ベトナムの独立後、勧告により帰国を余儀なくされ、残されたベトナム人の家族は、幾多の苦労を重ねました。
そうした中、これらベトナム人の家族と、帰国した元残留日本兵たちが、その後日本で築いた幾組かの家族との間に、理解ある交流が長く続いてきていることを聞き、深く感慨を覚えました。
ハノイ訪問ののちに古都であるフエを訪問しましたが、ベトナム独立運動の先駆者で、日本の支援を求めてわが国に滞在した時期もあるファン・ボイ・チャウの記念館も訪れました。ここでも日本とベトナムとのさまざまな交流の歴史に触れることとなりました。今後とも両国の友好関係が一層進展していくことを願っています。
ベトナム訪問ののちにタイを訪問し、昨年10月に崩御になったプミポン国王との長い交流の日々を懐かしく思い出しながら、最後のお別れをいたしました。
ことしも残念なことに、いくつもの自然災害が起こりました。特に7月には九州北部がまれに見る豪雨に見舞われ、多くの人命が失われるなど、大きな被害を受けました。10月に福岡県朝倉市と大分県日田市をお見舞いに訪れましたが、朝倉市に向かう車中から見た災害の大きさは、自然の力の恐ろしさを改めて感じさせるものでした。被害に遭った人々が深い悲しみの中にありながら、皆で協力して懸命に復興に取り組んでいることを、心強く思いました。
また、11月には鹿児島県屋久島を訪れ、その西方12キロに浮かぶ口永良部島で、2年半余り前に起きた火山噴火によって屋久島への全島避難を余儀なくされた人々をお見舞いしました。噴火に先立ち避難訓練を行っていたこともあって、幸い速やかに全島民が無事に屋久島に避難したと聞きました。屋久島の人々の助けを得て避難生活を送り、今は多くの人が口永良部島に戻り、復興に取り組みながら元の生活に戻りつつあることを、うれしく思います。
わが国は豊かな自然に恵まれていますが、同時に自然災害の脅威に晒されており、こうした事態に備え、また、不幸にして災害が起こった時、人々が助け合うことがどれほど重要かということに、思いを深くしました。
この11月の屋久島訪問に続けて、沖永良部島と与論島を初めて訪問しました。これは、平成24年2月に一度計画されながら、私の心臓バイパス手術のために見送られたものです。島の美しい自然に触れるとともに、島の人々が、それぞれの伝統を育み、その自然をいかして生活を送っている姿を、頼もしく思いました。
ことし、宗像・沖ノ島と関連遺産群がユネスコの世界遺産に登録されたことは、喜ばしいことでした。10月に福岡県で行われた「全国豊かな海づくり大会」に出席する機会に宗像大社を参拝し、4世紀から9世紀にかけて沖ノ島に奉献された宝物を見ました。沖ノ島は、わが国と朝鮮半島との間に位置し、航海の安全と交流の成就を祈る祭祀がそこで行われ、これらの宝物は、その際に奉献されたとのことでした。
また、それに先立つ9月に埼玉県日高市にある高麗神社を参拝しました。今から約1300年前に、高句麗からの渡来人がこの地に住み、建てられた神社です。多くの人に迎えられ、わが国と東アジアとの長い交流の歴史に思いを致しました。
私たちの初孫である、秋篠宮家の長女眞子と小室圭さんとの婚約が9月に内定し、来年11月に結婚いたします。大変喜ばしく、二人の幸せを願っています。
このたび、再来年4月末に期日が決定した私の譲位については、これまで多くの人々がおのおのの立場で考え、努力してきてくれたことを、心から感謝しています。
残された日々、象徴としての務めを果たしながら、次の時代への継承に向けた準備を、関係する人々と共に行っていきたいと思います。
ことしも残すところわずかとなりましたが、来る年が国民皆にとって良い年となるよう願っています。』