提出者 吉田法晴
よしだ ほうせい / みちはる、1908年3月13日 - 1981年1月19日 日本の政治家、衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)。初代北九州市長(1期)。日本社会党
昭和五十年十一月二十一日提出
質問第五号
天皇の靖国神社参拝に関する質問主意書
右の質問主意書を提出する。
昭和五十年十一月二十一日
衆議院議長 前尾繁三郎 殿
天皇の靖国神社参拝に関する質問主意書
十一月二十一日天皇は靖国神社に「私的参拝」をされたが、これは憲法違反として五度審議未了となつた「靖国神社法案」及びその代わりに制定が推進されている「慰霊表敬法案」の重要な中味である「靖国神社の国家護持」と「天皇の靖国神社親拝」を、法成立の事前に実現し、三木首相の靖国神社参拝と共に既成事実を積み重ね、憲法違反の法制定を推進しようとするものである。
かかる問題のある天皇の靖国神社参拝について、社会、公明、共産等各党が反対を表明し、多くの宗教団体関係者が反対しており、このように国論を二分するがごとき行為は「国民統合の象徴」といわれる天皇のなさるべき行為ではない。
靖国神社があたかも「国家の特別の宗教施設」であるかのごとく国民に印象づけ、よつて、憲法違反、国民多数の反対によつて審議未了五回にも及ぶ靖国神社法案あるいは表敬法案の成立促進に利用される天皇の靖国神社参拝は当然やめられるべきであり、内閣は、やめられるよう助言をすることが必要と信ずるので、次の点について質問する。
一、宮内庁は「前回までの六回は『私的参拝』という形で行われており、今回も法律に基づいたものでなくあくまでも陛下のご意思による私的なもの(小坂宮内庁総務課長)」としている。しかし靖国神社藤田総務部長は、「国民感情からいつて、あえて私的公的などとあれこれは考えていない。国事行為に含まれていないという意味では公的ではないかもしれないが、陛下のご参拝には変わりない。」としている。そして、当日臨時大祭を行い、特別奉迎者として青木一男靖国神社崇敬者総代、賀屋興宣日本遺族会会長ら約七十人、また各都道府県遺族会から二千人が参道などでお迎えする予定と報道されている。
先に問題となつた稻葉法相の発言と行動について三木首相は「個人と国務大臣とは区別し難い。」と言つた。「陛下のご参拝には変わりない」として、これだけの人々が参列して臨時大祭を行うことは、普通の一私人が近所のお宮さんにもうでるのとは事の性格、影響が異なるのではないか。
二、天皇の戦後における靖国神社参拝は、昭和二十年十一月二十日の終戦報告が公式参拝であつたというがそれは旧憲法下の事である。その後新憲法下では、昭和四十年十月十九日の終戦二十周年参拝など前回の参拝まで六回は、遠慮して「私的行為」とされた。
それは、靖国神社が、東京招魂社以来「天皇に忠魂を捧げた『臣民』たる軍人が、死して『現御神』である天皇に祭られる特殊の国家宗教施設であつたという事であり、その果した機能は『天皇への忠誠の思想の絶対化』であつた。」といえるであろう。日本国憲法の下においては、天皇の神格化は否定され(人間天皇宣言)記紀以来の神話と結びついた「日本帝国」の神性さと天皇の神格化及びこれと結びついた天皇主権は、日本国憲法の国民主権、平和と民主主義の諸原則がこれに代わつたのである。
「靖国神社の性格とその歴史的役割」は東京弁護士会編の「靖国神社法案に関する意見書」に詳しいが、天皇の靖国神社参拝が復活し、それが当然の事として繰り返されるならば、
(一)日本国憲法によつて確立された人間(尊重)の平等性が否定され、
(二)天皇のために戦つて死んだ者のみが靖国神社に祭られるという、排外思想と天皇忠誠思想が復活する。
(三)「絶対的権力者」であり「現御神」である天皇と「臣下」という関係が復活する。
(四)日本国憲法の原則である「政教の分離」、「信仰と宗教活動の自由」が奪われ「神社神道は国の祭礼であつて宗教ではない」という神社神道が復活すれば、他の宗教と宗教活動は制限されあるいは禁止される日がいつか再びくるだろう。(五)そして外に向つては「天皇の名による戦争は、無条件に、聖戦として美化されるという軍国主義的侵略主義」が復活するだろう。
まことに「靖国の思想は国家神道教義の核心であり、極限であり、その最大の精華なのであつた。このような国家神道の精華である靖国の思想は……靖国神社の合祀を通じ全国民に徹底化したのであるからこれが日本の軍国主義侵略主義の精神的基底とならない筈はなかつた」と思われる。
こういう日本国憲法の破壊、明治憲法と軍国主義を復活する天皇の靖国神社参拝を憲法尊重擁護の義務を有する天皇はやめられるべきであり、内閣は天皇の靖国神社参拝をやめられるように助言すべきであると考えるがどうか。
右質問する。
【応える】
靖国神社法案が否決されたことが、即憲法違反でありうるのか、『靖国』の本来の意味は国を護ることである。文字通り国家を守り抜いたこの神社をその同じ国家が知らぬ存ぜぬがまかり通るのであろうか。
これは親子関係と同等である子供を護るのは親の務めであり、やがて子が大きくなればかよわき親を護る事は当然至極の道理である。
國體が護持されたことは現憲法でも明らかであり、占領軍によって神道は宗教であると国家から切り離されたものと宗教法人となることで取り壊しを免れた靖国神社を国家が守れないのであれば国民と皇室で守っていくのが國體護持の立場からも極めて自然である。
皇室が護るとは祀り主たる天皇が親拝することであり、その皇室を国民が支える國體護持こそが最も自然な形であろう。
国民、皇室、靖国とこの一つでも欠ければ国家存亡の危機であることに気付くべきである。
天皇の靖国神社参拝が復活したとして5項目を挙げているが、
(一)日本国憲法の人間(尊重)の平等性を否定とあるが、その憲法でさえ第1条から国民との平等性を欠いているのではなかろうか。
(二)天皇のために戦つて死んだ者のみが靖国神社に祭られるという、排外思想と天皇忠誠思想が復活すると言うが、国家と親兄弟は同義でありそれらを守る為に犠牲になったのである。米国のアーリントンと同じであり、排外思想復活とは詭弁である。
(三)天皇は変わらず「現御神」であり、神が人となったの意味である。いつの世も國體は変わっていない。
(四)日本国憲法の原則である「政教の分離」、「信仰と宗教活動の自由」が奪われる訳がなく、他の宗教と宗教活動が制限禁止される日など軍国主義の復活同様ありえない。
(五)したがって天皇が靖国親拝が復活したところで軍国主義が復活するなどあり得ない暴論である。と全てが東京弁護士会の詭弁に基づいた暴論である。
この質問自体が殊更に幻想的な「日本の軍国主義侵略主義」の復活を過剰なまでに警戒し、本来の戦没者遺族の悲しみと慰霊の心を国家への憎悪に変換し、天皇の権威を貶め内閣にも責任を負わせるという『天皇御親拝=軍国主義復活』というロジックを印象付けるばかりか、今後30.40年と日本の自立を阻害する反日日本人的精神の支柱となるであろう。