『泣き叫ぶ支那人は、郵便袋の中に入れられ、袋の口はしっかり締められた。 彼は袋の中で暴れ、泣き、怒鳴った。袋はフットボールのようにけられ、 野菜のように小便をかけられた。 ぐしゃりとつぶれた自動車の中からガソリンを出した西本(歩兵第20連隊伍長の仮名)は、袋にぶっかけ、 袋に長い紐をつけて引きずり回せるようにした。 (略)西本は火をつけた。ガソリンは一度に燃え上がった。 と思うと、袋の中で言い知れぬ恐怖のわめきがあがって、 こん身の力で袋が飛びあがった。袋はみずから飛びあがり、みずから転げた。 戦友のある者たちは、この残虐な火遊びに打ち興じて面白がった。 袋は地獄の悲鳴をあげ、火玉のようにころげまわった。 袋の紐を持っていた西本は、 「オイ、そんなに熱ければ冷たくしてやろうか」 というと、手榴弾を二発袋の紐に結びつけて沼の中へ放り込んだ。 火が消え袋が沈み、波紋のうねりがしずまろうとしている時、 手榴弾が水中で炸裂した。水がごぼっと盛り上がって静まり、遊びが終わった。こんな事は、戦場では何の罪悪でもない。 ただ西本の残虐性に私たちがあきれただけである。』
— 東史郎『わが南京プラトーン― 召集兵の体験した南京大虐殺』
上官は西本という仮名になっている理由はこの記述について元上官が名誉毀損で提訴したからである。最高裁で客観的証拠がないと東は敗訴し名誉毀損が確定している。つまり全くのファンタジーであることが証明されたのだ。
本多勝一のカメラ
東史郎の日本国旗
これらが何故南京大記念館に展示されているのだろうか、吉田清治と同様に東史郎は虚構の戦争体験で懺悔する懺悔屋だからである。
懺悔するのに何故嘘を吐くのであろうか、日本軍の残虐性を誇張し戦争を犯罪に仕立て上げる必要性があるからに他ならない。