天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

懺悔屋 東史郎のファンタジー

2018-12-04 19:26:42 | 時事





『泣き叫ぶ支那人は、郵便袋の中に入れられ、袋の口はしっかり締められた。 彼は袋の中で暴れ、泣き、怒鳴った。袋はフットボールのようにけられ、 野菜のように小便をかけられた。 ぐしゃりとつぶれた自動車の中からガソリンを出した西本(歩兵第20連隊伍長の仮名)は、袋にぶっかけ、 袋に長い紐をつけて引きずり回せるようにした。 (略)西本は火をつけた。ガソリンは一度に燃え上がった。 と思うと、袋の中で言い知れぬ恐怖のわめきがあがって、 こん身の力で袋が飛びあがった。袋はみずから飛びあがり、みずから転げた。 戦友のある者たちは、この残虐な火遊びに打ち興じて面白がった。 袋は地獄の悲鳴をあげ、火玉のようにころげまわった。 袋の紐を持っていた西本は、 「オイ、そんなに熱ければ冷たくしてやろうか」 というと、手榴弾を二発袋の紐に結びつけて沼の中へ放り込んだ。 火が消え袋が沈み、波紋のうねりがしずまろうとしている時、 手榴弾が水中で炸裂した。水がごぼっと盛り上がって静まり、遊びが終わった。こんな事は、戦場では何の罪悪でもない。 ただ西本の残虐性に私たちがあきれただけである。』

— 東史郎『わが南京プラトーン― 召集兵の体験した南京大虐殺』



上官は西本という仮名になっている理由はこの記述について元上官が名誉毀損で提訴したからである。最高裁で客観的証拠がないと東は敗訴し名誉毀損が確定している。つまり全くのファンタジーであることが証明されたのだ。

本多勝一のカメラ

東史郎の日本国旗

これらが何故南京大記念館に展示されているのだろうか、吉田清治と同様に東史郎は虚構の戦争体験で懺悔する懺悔屋だからである。

懺悔するのに何故嘘を吐くのであろうか、日本軍の残虐性を誇張し戦争を犯罪に仕立て上げる必要性があるからに他ならない。

12月23日

2018-12-04 17:49:48 | 時事


1933年(昭和8年)12月23日に今上陛下はお生まれになられた。天皇誕生日であり、国民の祝日である。


1948年 (昭和23年)今上陛下が15歳で皇太子殿下の時に極東国際軍事裁判で死刑判決を受けたA級戦犯7名
板垣征四郎
木村兵太郎
土肥原賢二
東條英機
武藤章
松井石根 (B級)
広田弘毅
を22日の午前零時23日に日付が変わるのを待って絞首刑が行われた。

つまり、将来日本の天皇陛下となられる皇太子殿下の誕生日に合わせて処刑を実行したのである。

将来の日本人までその戦争の贖罪意識を植え付ける為である事は言うまでもない。

今上陛下を名前で呼び週刊誌のネタにして女性天皇を望む現代の日本人は未だに当時の連合軍の敷いたレールの上を忠実に走っているようにしか思えない。