天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

靖国神社宮司退任ニュース解説

2018-10-17 06:09:45 | 時事



靖国神社の小堀宮司が退任の意向を伝えたことを各社がスクープ的に「天皇批判」として取り上げて其々独自の解釈で報じている。先ずはそもそも天皇批判なのかとの疑義を抱くが、公開された核心部分 を見てみよう。

 【「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊(みたま)はないだろう? 遺骨はあっても。違う?(中略)はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」

 「もし、御在位中に一度も親拝(しんぱい)(天皇が参拝すること)なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」】


内容でなく言葉使いに不穏当な表現があるが、皇室批判ではないことは初めに言及しておく。

言葉使い以外に敢えて問題となった部分をあげれば、

『今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ』

『皇后になる彼女は神社神道大嫌い』

の2箇所であろう。

これに関しては最後に述べるとして、各社の記事をもう一度読み返してみたい。(前ブログ)


以下の8社が報じているのだが、どれも恣意的な解釈か意図的で作為をもった解釈が見受けられるのでその部分を其々抽出してみよう。


⚫️ 花田紀凱
⚫️ スプートニク日本
⚫️THE liberty web 幸福科学
⚫️BBCニュース
⚫️JIJI.com 時事通信
⚫️産経新聞
⚫️朝日新聞
⚫️毎日新聞


⚫️ 花田紀凱の週刊誌ウオッチング


『いくらクローズドの会議とはいえ、これは完全にアウトだろう。』

 
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⚫️ スプートニク日本



明仁天皇


昭和天皇は1978年、同神社にA級戦犯が合祀されたことへの強い不快感を示し、1975年の参拝を最後に靖国神社を訪れていない。明仁天皇が参拝しないのはこうした昭和天皇の意思を引き継いでいるものと受け止められている。

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⚫️THE liberty web 幸福科学


神官の長である天皇が神社にご親拝することは、宗教的にごく自然なこと。天皇が自由に神社をご親拝できなくなれば、天皇の宗教的権威を否定することにもなりかねない。


大川隆法・幸福の科学総裁は2010年7月、昭和天皇の霊言を収録し

昭和天皇の霊は、「『自分の国の国民で、戦死した人たちを慰霊する』ということは、やはり、その民族の誇りでもあるし、義務であると思っております」と語られており、むしろ靖国参拝を望まれていることが分かった。


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⚫️BBCニュース

第2次世界大戦の戦争犯罪者として有罪判決を受けた戦犯も合祀

来年に退位が予定される明仁天皇はこれまで一度も靖国神社を参拝していない。



明仁天皇は、中国と朝鮮半島での日本軍の行為について、哀悼の意を表明してきた。

BBCのルーパート・ウィングフィールド=ヘイズ東京特派員はこの発言流出について、日本の保守の多くが天皇についてどう考えているかを垣間見るめったにない機会だと話している。


明仁天皇の父で、戦時中に天皇だった裕仁天皇は、1978年に第2次世界大戦のA級戦犯14人が合祀されて以降、靖国神社を訪れなかった。



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⚫️JIJI.com 時事通信

 靖国神社の広報担当者は、こうした発言があったことを認めた上で、「極めて不穏当な言葉遣いの録音内容が漏れた」と説明。
 天皇と靖国神社をめぐっては、1978年にA級戦犯が合祀(ごうし)されて以降、昭和天皇の参拝が途絶え、天皇陛下も即位後一度も参拝されていない。
 
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⚫️産経ニュース



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⚫️朝日新聞


 同神社では今年2月、前任の徳川康久宮司の発言が「神社創建の趣旨に反し、賊軍合祀の動きを誘発した」などと問題視されて、徳川氏が辞任。

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⚫️毎日新聞


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【解説】

解説であるが、先ず新聞社のニュースが意外な事に的確に事実だけを淡々と記事にしている。つまり、何も印象操作していないことに驚かされる。

その中でもただ一点朝日新聞の前宮司徳川氏の退任理由まで言及しているのだが、あくまでも徳川氏は「一身上の都合」で退任している。

「会津藩士や西郷隆盛ら『賊軍』の合祀(ごうし)の動きを誘発した」との徳川氏批判は靖国神社NO3の元禰宜の暴露本からの引用だろうが、勝手な推察に過ぎないのである。

要するに新聞各社は日経のスクープした富田メモがその効力が安定して浸透しているだけにつまらない印象操作をする必要がないのである。

これは靖国神社が自分達の思うがままの状態や状況に安定している証でもあり、小芝居する必要がないのである。(産経を除く)

従ってその他の週刊誌の目新しいスクープで靖国神社のイメージが既存されていくのを高みの見物をしているだけで済む訳である。

問題はやや右よりの花田氏、幸福、更にBBCである。これは報道上の問題ではあるが、宮司、靖国神社側の問題とは分けて考える必要がある。

先ず花田氏の『いくらクローズドの会議とはいえ、これは完全にアウトだろう。』は右寄りでありながら靖国神社と皇室の関係を無視しているように感じる。

クローズドだからこその問題の本質に迫る宮司の発言を単なる皇室批判と捉えてしまっては右寄りどころかちょっと左寄りであろう。

幸福の科学だが、危険なのは皇室を一宗教として言及している点と教祖の霊言である。その論旨は正しいのだが、皇室は宗教法人ではない。これはなんら共産党の天皇観と変わらない考え方と言える。

最後にBBCであるが、大雑把過ぎる。此の期に及んでまだA級戦犯を戦争犯罪人とし、今上陛下は皇太子時代に参拝されている。翻訳のミスか、日本軍の行為に哀悼の意など表明していないし、保守の多くが天皇批判などしていない。頓珍漢な外人目線である。

そして、戦犯合祀で御親拝中断となんともがさつで大雑把である。

その他は特段取り上げる価値もない。

さて、冒頭の『今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ』と『皇后になる彼女は神社神道大嫌い』であるが、雅子妃殿下のことは置いておいて陛下が靖国神社を潰そうとなさるとはどう捉えるべきなのか?

小堀宮司の退任は二通りの可能性が考えられる。

①小堀宮司が嵌められた
②小堀宮司自身の自作自演

⑴小堀宮司は今上陛下が海外慰霊には出かけるが靖国には勅使を遣わすことを取り上げ、祭り主でありながら天皇となられて一度も御親拝なさらない距離感は潰そうとしていると受け取るのは靖国としてはあまりにも自然な捉え方であり、その危機感を靖国神社の100人以上の組織の長として警鐘を鳴らしたと考えると音声をリークした人物に嵌められたのであろう。

⑵一方意図的に問題発言をして、自ら音声データがリークされることを見越して発言していたら。
文字通り自作自演で靖国神社と皇室の距離感を問題にし、御親拝中断を継承されていることを起爆剤にして御親拝へ加速させようと画策したのかもしれない。


これらを総合すると

靖国神社と宮司は創立150年を迎えるにあたり、天皇陛下の御親拝を切望している。明らかに皇室は靖国神社と距離をおいている。
新聞各社は戦犯が合祀されている靖国神社には天皇陛下は御親拝しない。そんな中宮司が皇室批判し退任しては御親拝は遠退いて、存在意義も薄れる。


靖国神社で会おう、会いたくなったら靖国神社においで、そう約束して死んだら靖国神社に神として祀られ天皇陛下が御親拝下さる。
これが天皇陛下と靖国神社の関係である。

戦争は犯罪ではなかった筈が戦犯とされた殉難者達、日本が犯罪国家では無かったことを唯一証明する施設に注がれる冷やかなマスメディアの視線。宮司の退任はそんな靖国神社を国民からもその関係を引き裂く差別的思考ではないだろうか。

靖国神社宮司退任ニュース

2018-10-15 06:30:05 | まとめ・資料
靖国神社の宮司が退任の意向を伝えたようだ。
以前宮司擁護のブログ記事を書いたが、非常に残念である。靖国神社が内部から崩壊していくのか?それとも宮司自身がスパイだったのか?
各社のニュースを見ながら靖国神社に向けられる
視線と危機感を解説していこうと思うが、引用だけでも長くなるので解説は次号にすることをご了承頂きたい。



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⚫️ 花田紀凱の週刊誌ウオッチング

「週刊ポスト」が久々の大スクープ 靖国神社宮司が会議で“アウトな”発言 音声データを入手

『週刊ポスト』(10・12/19合併特大号)久々の大スクープだ。

 「『陛下は靖国を潰そうとしている』靖国神社トップ小堀邦夫宮司『皇室批判』の波紋」

 今年3月、第12代靖国神社宮司に就任したばかりの小堀氏、この記事がキッカケとなって、10日、宮司を退任する意向を発表した。

問題の発言は6月20日、社務所会議室で開かれた「第1回教学研究委員会」でのもの。

 どんな発言か。

 〈「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊(みたま)はないだろう? 遺骨はあっても。違う?(中略)はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」〉

 〈「もし、御在位中に一度も親拝(しんぱい)(天皇が参拝すること)なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」〉

 いくらクローズドの会議とはいえ、これは完全にアウトだろう。『ポスト』 編集部は110分に及ぶ音声データを入手したという。

 ちなみに宮司退任の意向、11日の新聞は各紙ベタ扱い。しかも、『ポスト』の誌名を出したのは産経のみ。朝日〈週刊誌で報じられ〉、毎日〈一部週刊誌〉、読売〈一部週刊誌〉。だから新聞は信頼を失うのだ(除く産経)。

 この件に関しては先週のニコニコ動画「週刊誌欠席裁判」で詳しく話しているので関心ある方はどうぞ。Youtubeでも見られます。

〈以下略〉
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⚫️ スプートニク日本


靖国神社宮司 天皇批判で退任

靖国神社の宮司が、明仁天皇が同神社を参拝しないとして批判した後、退任した。

問題発言を行い、退任したのは元靖国宮司の小堀邦夫氏。小堀氏は6月、同神社の社務所で行われた「第1回教学研究委員会定例会議」の場で、まず明仁天皇が各地で行ってきた慰霊の旅を批判した。
「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう?」

「今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ」。

小堀氏この発言は秘かに録音され、「不敬発言」として「週刊ポスト」にすっぱ抜かれたことから大きなスキャンダルに発展したため、小堀氏は神社に退任届けを提出した。

小堀氏の批判対象は明仁天皇だけにとどまらず、皇太子夫妻にも及んだ。小堀氏は「新しく皇后になる」雅子妃は神道神社が「大嫌い」であり、今後も靖国参拝を行わないだろうと悲観的な予測をしている。

明仁天皇は即位以来、一度も靖国神社への参拝を行っていない。昭和天皇は1978年、同神社にA級戦犯が合祀されたことへの強い不快感を示し、1975年の参拝を最後に靖国神社を訪れていない。明仁天皇が参拝しないのはこうした昭和天皇の意思を引き継いでいるものと受け止められている。

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⚫️THE liberty web 幸福科学

日本人は改めて靖国参拝について考える必要がある

〈前略〉
その大きな理由の一つとして考えられるのが、中国政府や韓国政府の圧力だ。長年、政治家の参拝を非難するなど異例の内政干渉が続き、それに日本政府も屈している。

しかし、大東亜戦争は、日本の自衛のための戦争であり、欧米列強からアジアの植民地を解放し、白人優位の人種差別政策を打ち砕いたものだ。神官の長である天皇が神社にご親拝することは、宗教的にごく自然なこと。天皇が自由に神社をご親拝できなくなれば、天皇の宗教的権威を否定することにもなりかねない。

天皇陛下が靖国にご親拝されない理由として、昭和天皇のご意思を継いでいるとする声もある。日本経済新聞が2006年に報じた、「昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に対して不快感を示した」とする「富田メモ」に根拠を置くものだ。

しかし、これは昭和天皇の「本心」ではない。大川隆法・幸福の科学総裁は2010年7月、昭和天皇の霊言を収録し、靖国問題についてのお考えを聞いた(『保守の正義とは何か』幸福の科学出版刊)。

この中で、昭和天皇の霊は、「『自分の国の国民で、戦死した人たちを慰霊する』ということは、やはり、その民族の誇りでもあるし、義務であると思っております」と語られており、むしろ靖国参拝を望まれていることが分かった。

国民としては、天皇陛下が政治的理由や誤った報道に制約されることなく、自由に靖国にご親拝されるような環境を整えるべきだろう。今回の小堀宮司の発言を機に、日本人は改めて靖国参拝について真剣に考える必要がある。
(片岡眞有子)

【関連書籍】
幸福の科学出版 『保守の正義とは何か』 大川隆法著
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⚫️BBCニュース
靖国神社の宮司が退任へ 天皇批判で

靖国神社は東京にあり、戦没者250万人が眠るとされるが、第2次世界大戦の戦争犯罪者として有罪判決を受けた戦犯も合祀(ごうし)されており、議論も多い。近隣国、特に中国との緊張関係の大きな要因ともなっている。

来年に退位が予定される明仁天皇は、これまで一度も靖国神社を訪れていない。

一方で天皇陛下は、戦時中に日本と敵対した国々との和解を模索してきた。

明仁天皇は、中国と朝鮮半島での日本軍の行為について、哀悼の意を表明してきた。また、戦死者を慰霊するため、太平洋の戦地もたびたび訪問している。これらの行動に、日本の右翼団体が反発することもあった。

6月20日に神社内の研究会であった小堀宮司の発言は、週刊ポストが公表した。

小堀宮司は「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていく(中略)今上陛下は靖国神社を潰そうとしている」と述べ、天皇批判という禁忌を破った。

同宮司はまた、皇后となる雅子親王妃が神道を「嫌い」なので、明仁天皇が退位すれば、徳仁皇太子と雅子妃は靖国神社を参拝しないだろうとも語った。

BBCのルーパート・ウィングフィールド=ヘイズ東京特派員はこの発言流出について、日本の保守の多くが天皇についてどう考えているかを垣間見るめったにない機会だと話している。

靖国神社当局は声明を発表し、小堀宮司の発言は「極めて不穏当」だったと言及。また、同宮司が宮内庁を訪れ陳謝したと明かした。宮内庁は皇室関係の事務を監督している。

靖国神社は、今月中に新たな宮司を選出すると述べた。

明仁天皇の父で、戦時中に天皇だった裕仁天皇は、1978年に第2次世界大戦のA級戦犯14人が合祀されて以降、靖国神社を訪れなかった。

裕仁天皇と明仁天皇は靖国神社を訪れていないが、安倍晋三首相を含む何人かの有力政治家は参拝しており、反発を呼んでいた。中でも中国は最も激しく参拝を批判している。

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⚫️JIJI.com 時事通信

靖国神社、宮司退任へ=天皇批判発言で

靖国神社は10日、小堀邦夫宮司(68)が退任する意向を示したと発表した。同宮司をめぐっては、天皇陛下を批判する発言をしたと週刊誌で報じられており、責任を取ったとみられる。

【特集】「平成」残り1年、続く最後の行事~両陛下が果たされた役割とは~


 週刊ポストは10月12・19日号で、小堀宮司が6月、神社内の会議で「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ」「はっきり言えば、今上陛下は靖国神社をつぶそうとしてるんだよ」などと発言したと報道した。
 靖国神社の広報担当者は、こうした発言があったことを認めた上で、「極めて不穏当な言葉遣いの録音内容が漏れた」と説明。宮司が宮内庁に行き、陳謝するとともに退任の意向を伝えたと述べた。後任宮司については26日の総代会で正式決定するという。
 天皇と靖国神社をめぐっては、1978年にA級戦犯が合祀(ごうし)されて以降、昭和天皇の参拝が途絶え、天皇陛下も即位後一度も参拝されていない。
 小堀氏は、3月1日から同神社の宮司を務めている。(2018/10/10-19:08)
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⚫️産経ニュース

靖国神社は10日、小堀邦夫宮司(68)が宮内庁を訪れ、宮司を退任する意向を伝えたと発表した。靖国神社は「小堀宮司による会議での極めて不穏当な言葉遣いの録音内容が漏洩(ろうえい)した」としている。

 今月発売の週刊ポストが、6月に靖国神社で開かれた会議で小堀氏が「(天皇)陛下は靖国神社を潰そうとしている」と発言し、録音を入手したと報じていた。

靖国神社によると、小堀氏が宮内庁を訪れて謝罪し、退任の意向を伝えたという。後任の宮司は今月26日の総代会で正式決定する見込み。

 小堀氏は伊勢神宮禰宜(ねぎ)を経て、今年3月、徳川康久氏の後任として靖国神社宮司に就任していた。

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⚫️朝日新聞
靖国神社は10日、小堀邦夫宮司(68)が退任する意向だと発表した。後任の宮司は26日の総代会で決定する。小堀宮司は、神社内の研究会で「陛下は靖国神社をつぶそうとしている」などと皇室批判をしたと週刊誌で報じられ、波紋が広がっていた。
同神社が発表した広報文は、「宮司による会議での極めて不穏当な言葉遣いの録音内容が漏洩(ろうえい)いたしました」と週刊誌報道に言及。小堀宮司が陳謝のため宮内庁を訪れ、宮司退任の意向を伝えたことを明らかにした。
 同神社では今年2月、前任の徳川康久宮司の発言が「神社創建の趣旨に反し、賊軍合祀の動きを誘発した」などと問題視されて、徳川氏が辞任。小堀氏は3月1日付で第12代宮司に就任したばかりだった。神社関係者によると、17日から開かれる秋の例大祭は宮司代務者が執り行うという。

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⚫️毎日新聞


靖国神社は10日、小堀邦夫宮司(68)が退任する意向を示していることを明らかにした。神社は「小堀宮司による会議での極めて不穏当な言葉遣いの録音内容が(一部週刊誌に)漏えいした」と説明している。

靖国神社によると、小堀宮司は直接宮内庁を訪れ陳謝し、退任の意向を伝えたとされる。後任は26日の総代会で正式決定される見込み。

小堀宮司を巡っては、一部週刊誌が6月の会議で「(天皇)陛下は靖国神社をつぶそうとしている」などと発言したと報じていた。

 小堀宮司は京都府立大を卒業後、皇学館大大学院などを経て伊勢神宮の神職に就き、今年3月1日付で宮司に就任していた。(共同)

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南京大屠殺記念館の本多勝一のカメラ

2018-10-12 07:39:33 | 時事


今まで南京大記念館など何の興味も無く、その展示物など知ろうともしなかった。まさか⁉️ということが平気で起こる。新鮮な驚きだ。

あまりにも無知な自分に戸惑ったが、記念館には本多勝一のカメラが展示してあるらしい。無知を恥じブログ化することにした。



去年の産経新聞の記事である。

『【南京=河崎真澄】中国江蘇省の「南京大虐殺記念館」が14日、10年ぶりの大幅なリニューアルを終えて一般公開を始めた。展示変更で、「南京大虐殺の史実を世界に周知させた」として顕彰されていた朝日新聞の本多勝一元記者らの写真と資料が、撤去されていたことが同日、分かった。

リニューアルは約1年をかけて行われた。昨年4月の段階では、「レイプ・オブ・ナンキン」を著した中国系米国人のアイリス・チャンなどとともに、本多元記者の顔写真や著書「南京への道」「裁かれた南京大虐殺」、中国取材に使用したとするペンやノート類の展示が確認されていた。

 中国国内で、1937年12月の旧日本軍による南京占領で起きたとされる「南京事件」をめぐり、外国人の歴史研究に依存しすぎていると批判が出ていた。

 さらに、朝日新聞が2014年、朝鮮半島で戦時中に女性を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言報道が「虚偽だった」と認めたことなどから、同紙の過去の報道の信頼性に疑念をもたれる恐れがあると判断した可能性がある。

 一方で「性暴行」とするコーナーが設置され、「日本軍の南京占領で1カ月に2万件近い強姦事件が発生した」などと、中国語、英語、日本語の3カ国語で表記。“証拠写真”や“証言映像”などを展示した。

 同コーナーで慰安婦に関する展示を大幅拡張し、写真類に加え、南京市内の慰安所で使われたとする避妊具や避妊薬などの物品類を初めて、“鉄証(動かぬ証拠)”として展示した。

 このほか14年に12月13日が「国家哀悼日」に指定された際、国家主席として初めて同記念館で演説した習近平氏の大きな写真パネルを展示した。従来は国家主席ら中央指導者の大型パネルは確認されていない。

 中国国営新華社通信によると、今回のリニューアルは展示内容のみで建物に変更はないが、展示入れ替えで従来に比べ、写真類は約3分の2の約2千枚、物品類は約3分の1の約900点にそれぞれ絞った。それでも「史実の新たな証拠を集めた」と評している。』


去年の12月の記事だが歴史戦に出遅れてしまったようである。このカメラはまだ展示されているか否かはさだかではないが、確実に写真は展示され、撤去されたことは事実である。

「外国人の歴史研究に依存しすぎていると批判が出ていた。」ようであるが、アイリスチャンのペンまで展示していたとは驚きである。

大虐殺の遺品や写真ではなく大虐殺の小説やルポライターを顕彰しているのである。靖国神社の遊就館の対極にあると言うべきか遊就館、原爆資料館を模して作った割には俄仕立ての感は否めない。


しかしながら、このリニューアルの動きをどう捉えるかは日本にとって非常に重要である。つまり、南京の真実が浸透して孤立していくのか、日本人の手を離れ独自の捏造史を確立する段階であるかのどちらに転んでも時間の経過とともに歴史認識が乖離していくからである。

ド極右クソハゲVSキモいモップ頭

2018-10-09 16:46:36 | X


事の発端はウーマン村本のツイートである。



これを削除して魚拓を引用して下のようなツイートをした。

村本ツイート
『そー言う汚い言葉使うのやめてって友達からラインで言われなので消したけど、そんなに言って欲しいなら。。

ド極右クソハゲの大嘘つき作家が沖縄の歴史のデマを流してたらしい。訂正もしてない。探偵ナイトスクープに依頼してちゃんと調べろよ

はいどうぞ。おれはファン想いで優しい…』

この「大嘘つき」を立証したのが弁護士の書いた虎ノ門ニュースの発言の検証記事なのだが、重箱の隅をつついた揚げ足取りでしかないことは既にブログに掲載済みである。

この炎上に古谷経衡(以下モップ頭)が次の様なツイートをした。




村本ツイートを引用していたので百田氏の目に止まったのだろう。

百田氏ツイート
『これが同じに見えるなら、読解力はほぼゼロやね。』




百田氏ツイート
『とにかく世に出たくてたまらない男。そのためなら、誰の悪口も言うし、誰にでも擦り寄る。そして、いつでも裏切る。世に出るためなら右でも左でもなるコウモリ。
テレビに出たいからと、芸能プロダクションにも入る。
まあ、生き方は自由だが、私には絡むな、と。』


モップ頭
『貴殿は、2018年2月、CS番組『虎ノ門ニュース』にて、当方の顔写真を提示して「モップ頭」等と中傷揶揄(当方保存済)し公に誹謗中傷した。これは刑法230条名誉棄損、民放709条名誉棄損に該当する。が、私は貴殿と私が「共通の編集者で仕事をした経緯」を尊重して、これらを看過していた事を留意されし』

百田氏
『君のボザボサ頭が生まれつきで、肉体的欠陥なら、モップ頭という私の発言は名誉毀損にもなるだろう。
しかし、自分で気に入って選んだヘアスタイルだろう。
「モップ頭」と言われるのが刑法上、民法上の名誉毀損に当たるか、訴えてみればいい。 )




村本ツイート
『ちゃんとツイート(事実)読んでね😊

一言も誰のことか書いてませんよ。「極右クソハゲの作り話作家が沖縄のデマを流していたらしい」と書いたんですが、、え!百田さんて極右なんですか?左だと思ってた…😱

ちなみに百田さんからは「あほか」と名指しで知能的特徴を罵倒されましたが、僕は許します』


百田氏ツイート
『なるほど、その言い訳がしたくて、名前を書かなかったのか。
それで通用すると思ってたんやね。
こんなのを相手にすると、自分がどんどんバカになる😅
もうニコニコブロック😊しとくわ、』


誹謗中傷を受けた村本のアカウントをブロックし、モップ頭の方にブロックしろと勧めている。

核心からズレたところで詰り合いの子供の喧嘩で、百田氏の方が一枚も千枚も上手である。

この連続炎上で一番ダメージを受けたのはモップ頭であろう。日本ペンクラブの会員で評論家と著述家の肩書に『読解力ゼロ』はあまりにも致命的である。

恐らく"モップ頭"よりも"読解力ゼロ"に相当頭に来ていることはツイートを見れば瞭然だ。

百田氏の良識あるところはモップ頭にはブロックせずに反論のチャンスを与えている。朝日の毒饅頭を食ったのなら『どちらも同じ事を言っている』ではなくド「極右クソハゲ」を潰すつもりでツイートしてみろ「キモいモップ頭」




人の褌で相撲を取るウーマン村本

2018-10-08 02:35:54 | X

村本ツイート
『1950年代、反米基地闘争が燃えさかることを恐れた日本とアメリカが、当時まだアメリカの施政下にあった沖縄に多くの海兵隊の部隊を移した、沖縄に集約したって記事。

46都道府県の人はこの事実、読むべき記事。

この裏とった人頑張ったね』

百田氏リプ

『1945~52年まで、日本は占領下にあり、国内のいたるところに米軍基地があった。
1952年のサンフランシスコ講和条約以降、ポツダム宣言の条文にしたがって、国内の米軍基地は次々と撤退していった。減った分の何割かは施政下にあった沖縄にいった。
これが事実。フェイクニュースにだまされるなよ。』


百田氏ツイート

『アホか、と。
ポツダム宣言によって、1952年のサンフランシスコ講和条約まで日本は占領下にあり、国内の至る所に米軍基地があったんだよ。
講和条約後、国内の米軍基地は次々に撤退・縮小していった。当然、減った分の何割かは米国の施政下にあった沖縄にいく。
これが事実だ。因果関係を無視するな。』





村本が引用した記事


楊井人文(FIJ事務局長、弁護士)

Japan In-depth 編集部(佐藤瑞季)


【まとめ】

・百田尚樹氏“日米両政府が本土の反対運動を懸念し沖縄に基地を移転させたという事実はどこにもない” → 誤り

・1950年代、本土で基地反対運動が激化し、米軍基地が大幅に削除されたことは事実。

・同時期に沖縄では海兵隊が移転するなど米軍基地が拡張されたことも事実。




沖縄県知事選で、自民党総裁選に立候補していた石破茂元防衛相が沖縄に米軍基地が集中した理由について述べた発言が、動画から削除されたという出来事があった。9月13日付沖縄タイムスの記事によれば、動画には当初、次のような発言が含まれていた。

「1950年代、反米基地闘争が燃えさかることを恐れた日本とアメリカが、当時まだアメリカの施政下にあった沖縄に多くの海兵隊の部隊を移したからだと聞いている」

「岐阜や山梨に海兵隊の司令部があり、本土のあちらこちらに散らばっていた。それを沖縄に集約するような形で、こんにちの姿ができあがった。このことを決して忘れてはならない」

この発言が流れたのは、沖縄県知事選の告示前。沖縄タイムスが「閣僚経験者が本土の反対を懸念して、沖縄に米軍基地が集約されたとの経緯について発言するのは初めてとみられる」と報じた翌日、この発言を削除した動画に差し替えられた(沖縄タイムス9月19日)。

この報道を受け、作家の百田尚樹氏がネット番組「真相深入り!虎ノ門ニュース」で石破発言を取り上げ、「そんな事実はどこにもない」と発言していたことがわかった。本当に「日米両政府が本土の反対運動を懸念して、海兵隊の基地を沖縄に移転させた」という事実は「どこにもない」のか。①海兵隊が本土から沖縄に移転したのか、②その頃、日米両政府が本土の基地反対運動を懸念していたのか、に分けて検証することにした。

【検証対象】

言説内容

(百田尚樹氏)石破さんが削除された動画ね、見てませんけれど記事によると内容ね、日米両政府が本土の反対運動を懸念し、沖縄に移転させた、基地をね。そんな事実どこにもないっていうねん。沖縄っていうのは昭和47年までアメリカの土地やってんで、全部。… (9月20日放送「虎ノ門ニュース」)

事実・証拠

(1) まず、在日米軍の部隊・基地が本土から沖縄に移転した事実があるのか。

周知のとおり、1945年の米軍の沖縄上陸以後1972年まで、沖縄は米国の占領施政下にあった。ただ、現在沖縄にいる米海兵隊は、かつて日本本土に駐留していた時期があり、ずっと沖縄にいたわけではない。

ここに、「在日米軍の削減」と題された米国防長官のための覚書(1957年7月10日付)がある。それによると、1957年時点で日本本土に展開していた在日米軍兵力は計9万8890人で、海兵隊も1万3400人いた。この覚書は40〜50%の兵力削減に言及していた。

では、本土の海兵隊はいつ沖縄に移駐したのか。

現在、キャンプ・コートニーに司令部を置く第3海兵師団の公式サイトをみると、第二次大戦後いったん編成を解かれたが、1952年に再編成。朝鮮戦争で韓国に駐留した第1海兵師団の後方支援のため、1953年から日本(本土)に駐留し、1956年に司令部が沖縄のキャンプ・コートニーに移ったと記されている。現在キャンプ・コートニーには、第3海兵師団の上部組織である第三海兵遠征軍の司令部も置かれている(在日米海兵隊HP)。

林博史『米軍基地の歴史 』(吉川弘文館、2012年)によれば、第3海兵師団が来日した時は岐阜県や北富士演習場(山梨県)などに駐留していたが、米政府が沖縄への移駐を決定したのは1954年という。

当時、在日米軍海兵隊は本土に約2万5千人いた。それが、1957年の「国防長官の覚書」では約1万3千人。この3年間で本土の海兵隊兵力は半分近くに減ったことになる。他方、沖縄の海兵隊兵力は1万人を超えていた(前出『米軍基地の歴史』127頁)。

現在、第1海兵航空団の航空隊が使用している普天間飛行場も、1960年、米空軍から海兵隊に移管されたものだ(在日米海兵隊HP)。


こうした経緯について、沖縄県は裁判所に提出した書面で、次のように指摘している。(以下、引用)

1950年代初頭、沖縄の米軍基地面積は日本本土の米軍基地面積の10パーセントにも満たないものであった。そして、1950年代を通じて、日本の米軍基地面積は大きく減少し、他方で沖縄の基地面積は激増した。

1960年(昭和35年)には、日本の米軍基地面積は335.204平方キロメーロルと4分の1以下に減少し、他方で、沖縄の米軍基地面積は約209平方キロメー トルと約1.7倍となった。この基地面積の変化の大きな要因となったのは、日本本土から沖縄への海兵隊移駐とこれに伴う海兵隊新基地の建設であった。(2015年10月21日、沖縄県提出第2意見書)

(2)  次に、日米両政府は本土の基地反対運動を懸念して、本土の基地を削減したのかをみる。1950年代、主な基地反対運動や事件としては、以下のものがあった。

・1953年   内灘闘争(石川県内灘町HP)

・1953〜55年 浅間山・妙義山反対闘争

・1957年   ジラード事件(レファレンス協同データベース)

・1957年   砂川闘争(砂川事件第一審判決、京都産業大HP)
米国は1954年に本土の5カ所の米空軍飛行場拡張計画を日本側に示していたが、反対運動が激化し、横田基地の拡張以外はすべて失敗に終わった(前出『米軍基地の歴史』93〜97頁)。

こうした本土の反米基地運動の高まりを背景に、1957年6月21日、アイゼンハワー米大統領は岸信介首相との日米共同コミュニケで「翌年中に日本国内の合衆国軍隊の兵力を、全陸上戦闘部隊の早期撤退を含め、大幅に削減する」と約束した(データベース「世界と日本」)。本土では海兵隊だけでなく、米陸海空軍の兵力も大幅に削減された。

前年から米軍の海外基地の検討を求められていたナッシュ元国防次官補(Frank C. Nash)は、日本国内の米軍基地「撤退圧力」と米軍基地縮小による「摩擦の緩和」効果に注目。1957年に提出した大統領への報告書(ナッシュ・レポート)で、次のように述べていた。

「日本のナショナリズム、中立主義、核への恐怖の高まりは、米軍基地の日本からの撤退への圧力増大につながっている」(Increasing Japanese nationalism, neutralism and atomic fears are contributing to growing Japanese pressures for disengagement and for having the United States withdraw its extensive base system from Japan.)

「日本人の在日米軍基地縮小の望みをかなえれば、岸首相の地位が強化され、社会主義者の反基地運動を弱め、米国を長期的な基地権の交渉で有利な立場にさせるだろう」(Meeting Japanese desire for reduction of US base system in Japan of our own volition strengthens the positon of Prime Minister Kishi, weakens the Socialists oppositon’s campaign against US bases, and will place the United States in a favorite position to negotiate for long-time base rights in Japan.)

「苛立ちの除去:在日米軍基地の縮小計画が米軍駐留が引き起こす問題の緩和につながるだろう。さらに追加措置をとることで米軍基地が引き起こす苛立ちや摩擦を減らすことができるだろう…」(Removing Irritations: Present plans for exetensive withdraws of US forces from Japan will do much to alleviate problems arising from the US presence. However, the following additional steps might be taken to reduce irritations and points of friction resulting from US bases.)(原文は「沖縄法政研究」論文参照)

在沖米軍基地問題に詳しい沖縄国際大学の野添文彬准教授は、1950年代に海兵隊の移駐先が(本国でも他国でもなく)最終的に沖縄に決まった理由は、台湾海峡危機とも言われているが、十分解明されていないという。

だが、理由が何にせよ、1950年代に本土の在日米軍を縮小した背景には基地反対運動への懸念があり、本土の削減に反比例して沖縄への海兵隊移駐・拡張が進んだことは事実と確認できる。

判定:誤り

米海兵隊の沖縄移駐の真の理由は学問的に未解明とはいえ、石破氏の(削除された)発言は基本的に正しい。「日米両政府が本土の反対運動を懸念し、沖縄に基地を移転させた事実はどこにもない」と断じた百田氏の発言は、こうした事実が全くないかのような誤解を与えるもので「誤り」といえる。

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総評
褌がデカ過ぎて村本の大事な部分がはみ出している図を想像して頂きたい。
つまり百田氏の発言を裁判記録のように事細かに検証しての結論は"誤り"。この一字を取り上げてデマだ嘘つきと喧嘩を売っているだけのようだ。
「沖縄は中国の物」と言って視聴率を取った芸人が味をしめて記事に飛びつき炎上商法。

沖縄に基地が集中するのは「天皇メッセージ」によるところが最大の要因になっている。

しかもナッシュレポートは2000年を過ぎて公開になったあくまでもアメリカ史であり日本史的な観点から見れば百田氏の主張は誤りとは言えない。

山本章子という方が1953年から1960年まで米国の政権を担ったアイゼンハワー政権が、どのような政策的意図および背景から1960年の日米安保条約改定を行ったのか、解明することを目的とした論文を書いているが、奇しくも百田氏の講演が中止された一橋大学である。

ナッシュレポートは1957年スプートニックショックの直後に提出され本人は亡くなる。ナッシュ自身もオーストラリアへの移転を推奨していたが、兵站補給の基地として沖縄が有利となった。本土からの撤退は岸信介の尽力による安保改定が色濃く影響している。

検証の褌はゆるゆるである。