下伊那郡喬木村阿島(たかぎむら あじま)
阿島は傘(和傘)と言われるほど生産が盛んだったそうです
江戸時代からの伝統があり、いちばん盛んだったのは戦後で昭和25年(1950年)頃
製造業者160戸、年間30万本の生産を記録したそうですが
その後洋傘の急速な普及により、昭和30年には十数戸となり
現在は専業に作られているのは1軒のみ、
村では「阿島傘の会」が次世代に技を伝える活動を続けているそうです。
竹と紙だけでできているとは思えないですね・・・
阿島傘伝承館の展示コーナー(下)
私の小学校の頃、学校の置き傘は番傘(ばんがさ)でした
そういえば番傘におちる雨の音を思い出しました・・・
阿島は傘(和傘)と言われるほど生産が盛んだったそうです
江戸時代からの伝統があり、いちばん盛んだったのは戦後で昭和25年(1950年)頃
製造業者160戸、年間30万本の生産を記録したそうですが
その後洋傘の急速な普及により、昭和30年には十数戸となり
現在は専業に作られているのは1軒のみ、
村では「阿島傘の会」が次世代に技を伝える活動を続けているそうです。
竹と紙だけでできているとは思えないですね・・・
阿島傘伝承館の展示コーナー(下)
私の小学校の頃、学校の置き傘は番傘(ばんがさ)でした
そういえば番傘におちる雨の音を思い出しました・・・