下伊那郡泰阜(やすおか)村栃城(とちじろ)、JR飯田線温田(ぬくた)駅から15km程でしょうか
狭い山道をひたすら走ると小さな集落に着きます。
栃城地区にはかつて小・中学校の分校がありました、今もその木造の建物が残っています。
温田駅から少し行くと万古隧道(まんごずいどう)をぬけ、
その先はすれ違いなどしたくないような山道です
途中には人家がありません、カーナビでもないとどこにいるのか心配になります、
ようやく栃城の集落に着いて、分校はすぐに見つかるかと思っていたのですが見あたりません・・・。
ちょうど庭先で農作業をされている方がいたので尋ねると
その家の庭先を歩いてゆく(車は入れません)と教えられました、そこで車を置かせていただいて
夏草の茂った坂道を登るとそのお宅から一段高い場所に、分校がありました。
入口の看板には「泰阜村村立小・中学校栃城分校」とあります。
入口の黒板にはおそらく最後の授業となった日の予定が書きこまれています。
(昭和58年3月18日金曜日)
教室には机と椅子が1組、教壇もそのままでした。
フォトチャンネルにしてみましたこちらもご覧ください
狭い山道をひたすら走ると小さな集落に着きます。
栃城地区にはかつて小・中学校の分校がありました、今もその木造の建物が残っています。
温田駅から少し行くと万古隧道(まんごずいどう)をぬけ、
その先はすれ違いなどしたくないような山道です
途中には人家がありません、カーナビでもないとどこにいるのか心配になります、
ようやく栃城の集落に着いて、分校はすぐに見つかるかと思っていたのですが見あたりません・・・。
ちょうど庭先で農作業をされている方がいたので尋ねると
その家の庭先を歩いてゆく(車は入れません)と教えられました、そこで車を置かせていただいて
夏草の茂った坂道を登るとそのお宅から一段高い場所に、分校がありました。
入口の看板には「泰阜村村立小・中学校栃城分校」とあります。
入口の黒板にはおそらく最後の授業となった日の予定が書きこまれています。
(昭和58年3月18日金曜日)
教室には机と椅子が1組、教壇もそのままでした。
フォトチャンネルにしてみましたこちらもご覧ください
この栃城の分校の木造校舎は手入れが良くされている様子でした、きっと地域の方の思いがたくさん込められているのだと思います。
自分も小・中・高校とすべて木造校舎で過ごしました、今はすべて鉄筋の校舎になってしまいました、
分校と言う響きにもその時代の郷愁を感じるのかもしれません・・・。
tenten-3
今は父もすっかり年老いて自分で運転しては行けない場所になってしまいました。近いうちに父を乗せてドライブしようかしら…
この場所には確かまだ児童や先生がいた時に来ました、
最近気になっていたのですが、今日近くまで行く用事があったのでその帰りに遠回りして寄ってみました。
舗装はされていますが10km以上狭い山道です、はじめてだと運転に気を使います。
黒板の文字や、教室の机やイスを見ているとこの校舎への思いが伝わってきます・・・。
tenten-3
分校の響きとこの黒板を見ると
ここで育った者でなくともグット来ます!
私の育った小学校(奈良県)は
どうなってるかな!