カメラと散歩に

出会った風景や花、ペットなどとのひとり言。


  

安曇野は雪

2009年12月18日 | 松本・諏訪・木曽
昨日あたりから急に寒くなってきました、今日の松本市内は

時折雪がちらつく程度だったのですが

北アルプスは一日雪模様、安曇野の山沿いはうっすらと雪景色になっていました。



安曇野市 堀金にある江戸時代の庄屋の山口家の門、広い敷地は塀に囲まれあまりに立派な外観だったので

    

はじめは寺院かと思いました。



表札も有り、お住まいになっているようです。

    

今回は外観のみですが、見学も可能なようです、また機会あればゆっくり訪ねてみたい場所です。



場所はこの辺りです(goo地図御参考まで)



寒さが厳しくなってまいります。体調には十分ご留意ください。







箕瀬町界隈(飯田市)3

2009年12月16日 | 飯田市丘の上(まちなか)
飯田市箕瀬町界隈の散歩(続き)です、柏心寺の横にある元は本屋さんらしい建物



この建物の用水沿いの窓には格子がはまっていて、ちょっと懐かしい感じです。



(下)この角にあるお宅は今は無住のようですが確か昔はお肉屋さんだったと思います。



このお店の裏手(市役所方面へ向かうと)すぐ桜井文七の碑があります。



元禄時代元結を広め、飯田の特産、水引につながる伝統を今に伝えたとあります。



今も力士の「まげ」に飯田の元結が使われているそうです。



この箕瀬の町並みには少し古い時代の感じがまだ残っています。






文七と言えば、箕瀬の通りにある(柏心寺の少し先)懐石料理「文七」です。



たまにしか行けませんが美味しい料理とお酒が楽しめます。


山(本格的)好きな御主人と、明るい奥さんのお店です、カウンター席もあります。

(電話なり御予約されたほうがよろしいかと思います。)



このあとこのあたりの路地裏を一回り散策したのですが、今回はこのくらいで・・。

飯田まちなか、改めてご紹介したいと思います。


箕瀬町界隈(飯田市)2

2009年12月15日 | 飯田市丘の上(まちなか)
飯田市のまちなか散歩の続きです(このあたりは観光地という訳ではありません)

箕瀬の通りを(飯田駅・知久町から)進むと、

左側にあるお店のショーケース、ガラスの向こうには

懐かしいような不思議な雰囲気です。







右手にある長源寺の入り口に、山口藤(不二)の墓地の看板



門の奥に長源寺の参道が続いています、



参道沿いに歩くと・・・

    

飯田病院の裏手の道に出ます、そこを左に曲がり、小さな橋を渡ると十字路右手にお稲荷さん、



石垣の角にある飯田城外堀(空堀)の看板があり、



それによるとお寺をお城の防護として周辺に配置したようです。



ここを左に曲がり、川沿いに古い石垣の道を進むと元の通り道に戻ります。



通りに出ると右手が柏心寺です。





柏心寺の山門、本堂は新しい建物でした。



柏心寺の山門をくぐると本堂手前左手に、秋葉神社(?)



本堂裏には飯田出身で明治の日本画家 菱田春草の墓があります。



柏心寺の鐘楼



柏心寺あたりから見た箕瀬の通り(南側・鼎・飯田IC方面)



知久町・飯田駅方面はこちら(下)、こんな感じの通りです。



今いる場所はこのあたり(goo地図)


少し戻り右手前の路地に入ります(つづきます)


箕瀬町界隈(飯田市)

2009年12月13日 | 飯田市丘の上(まちなか)
久し振りに飯田市の街中を散歩をしてきました。今回は箕瀬(みのぜ)のあたり

飯田市内知久町3・4町目の信号このあたりが、箕瀬の入り口



大平(おおだいら)街道の碑が立っています(上)大平街道(知久町の通り)は

箕瀬の通りと交差して木曽方面へ向かいます。

    

この碑の脇にあるお店の店内には秤がたくさん並んでいました。



知久町3丁目と箕瀬の交差点にあるおもちゃ屋さん、昔ながらの店構えです。



知久町3・4丁目の信号機から見た、中央通り・飯田駅方面(進行方向とは逆)



知久町の信号機から箕瀬の通りに入って少し行くと、





家並が途切れて飯田市役所が見えます。



ひと昔前には空地はあまりなかった気がするのですが・・・。





まだ歩き始めたばかり、もうしばらく散歩にお付き合いください。


12月のヘビ

2009年12月12日 | 伊那谷 南信州 
先日(12/5)犬の散歩に行ったら近所の畑の石垣の上に蛇がいました。



歩いていたので気が付いたのですが、車ならきっと通り過ぎてしまうでしょう。

うちの犬は全く気付かないのか、関心なしでした。

    

12月にヘビを見るなんて、今年は暖かいのでしょうか、それとも空腹で起きだしたのか・・。



私はヘビ苦手なのでこれ以上近づくことは・・・遠慮しました。


ヘビが夢に出たら宝くじなど当たるのでしょうか?


「蛇が見る夢はきっとヘビー」などとダジャレを考えながら帰りました・・。

建福寺の石仏(高遠町)2

2009年12月11日 | 高遠憧憬
石段を登り、建福寺本堂に向かいます山門の脇に大きなケヤキの木があり秋の紅葉が見事です。



本堂前にある願王地蔵尊は貞治に大きな影響をあたえた願王和尚を偲んで

貞治が66歳の時に万感をこめて完成させた傑作と呼ばれているそうです。



端正なお顔のお地蔵さまです。



守屋貞治の足跡は(1765-1831)西は山口県、東は群馬県まで及んでいるそうで生涯に

336体の石仏をを刻んだと記録されているそうです。



    

このお寺には保科家の墓地があり、また武田勝頼の母として諏訪御料人(由布姫ともいわれた)の墓もあります。




高遠市街(真ん中あたり)から少しだけはいった所です、今は旧道沿いなので普段はひっそりとしています。

高遠市街、お寺の近くに無料駐車場があります(本町駐車場が便利)。

(今日の写真は以前撮影したものです)


建福寺の石仏(高遠町)1

2009年12月09日 | 高遠憧憬
伊那市高遠町、町の中心部旧道沿いの小高い丘の上に建福寺があります。(今回の写真は以前撮影したものです)

旧道からお寺に登る石段脇にある石仏群です、

江戸時代、高遠藩の政策で(出稼ぎに)高遠の石工として全国各地で活躍したそうです。

左側にあるのがその中でも名工と呼ばれる守屋貞治(もりやさだじ)作、延命地蔵大菩薩

その奥に見える屋根に下には守屋貞治作、西国三十三ヶ所観音像が並んでいます。



石段右手にある楊柳観音(渋谷藤兵衛作とあります)さらに右手に不動明王(写真はありません)があります。

    

西国三十三ヶ所観音は貞治、50代の秀作と呼ばれているそうで



江戸時代の作とは思えない精緻なつくりの観音様です。

    

石仏の台座の前には観音札所の御詠歌が書かれていますが、一部は判読しづらいところもありました。



建福寺は高遠城主だった保科氏の菩提寺ともなっていたそうです。



石仏がたくさんあり、写真点数が多くなったので続きは次回に・・。


駒ヶ池初冬(駒ヶ根高原)

2009年12月08日 | 伊那谷 南信州 
今朝はよく晴れて気温がぐっと下がりました。



駒ヶ根市、駒ヶ根高原にある駒ヶ池の一部にも薄氷が張っていました。

    

中央アルプスもすっかり雪化粧、湖面にきれいにアルプスの山並が映り込んでいます。

    

湖畔には霜柱がびっしりと並んで立っていました。

    

このところ12月とは思えないような比較的暖かい日が多かったのですが

冬らしい凛とした朝の空気でした。

京都の思い出

2009年12月02日 | 
今回は過去の自分のアルバムから、京都の紅葉をご覧下さい。

嵯峨野、常寂光寺 仁王門周辺の紅葉(撮影2006/11/25)





      





この時、紅葉が見事だったので境内で買い求めたモミジの苗木

最初は20-30cmだったのが高さ1m位になりました

今年も真っ赤な紅葉が自宅で見られました。