目指せ華麗な七十代!

旧mandalaflowerからタイトルを替えました。今から始まる七十代をより華麗に生きる覚悟です。

呼ばれた人しか行けない神社へ行った話

2024-10-26 | 日記

先日、用事があって山の方へ行った時のことです。

用事を済ませて旧道を走っている途中で運転を変わろうと言う話になりました。

 

山の中の旧道を走ったことのある人は知っているかと思いますが道幅が大変狭く、

旧道とは言え走る車もある事なので何処か都合のいい場所はないかと探しながらしばらく行くと橋の手前に車一台止まれる場所があるのを見つけ頭から飛び込むように駐車しました。

 

家人が運転席から外に出ると目の前に階段があるじゃないですか。

覗いてみるとどうもその階段は下を流れている渓流まで行く道のようでした。

川が大好きな家人が見つけたので下りて行かないわけがありません。

ちょっと見てくるよ、と言うので了解し自分は橋の上から川を覗いて見るだけにしました。

川はゴツゴツした岩の間を激しく流れています。

それに谷底は見渡す限り日陰でした。

車に戻ってふと山に目を向けますと岩に沿って階段があるのが見えました。

 

その先は岩の向こうなので何処まで続くものなのかわかりません。

家人が戻るまで待とうかとも思いましたが好奇心に駆られその曲がり角の先だけでも今すぐに見たい気持ちが勝ちました。

一人でその階段を登って曲がり角を回ると何とそこには古い古い神社があったのです。

古ぼけたその鳥居に貼り付けられた板には

大神神社と書いてありました。

鳥居の古さに比べると若干新しい板には寄贈した方の名もあります。

 

朽ちてスカスカの木材がかろうじて立っているような鳥居をくぐり中に入ると

 

不思議な空間に心が落ち着くのを感じました。

鳥居の正面には拝殿の代わりに文字が彫られた一枚の岩が置かれていましたが

長い年月や雨風に侵食されその文字の解読はできませんでした。

正面の岩を囲んで円を描くように石塔が並べられ鳥居を含んだ一つの円のような形です。

 

こういった石仏のような格好の岩が並べてあるのです。

 

この岩には山の神という言葉がはっきりと見えますが、他の石塔には明治の年号が読み取れる物があったり、役行者と思われるものがあったりで、

その場所がかなり古くから信仰の場所であったことを伺わせています。

 

 

大神神社は大国主命を祀る神社だそうでして、ネットには奈良の神社のことしか出ておりません。

 

その神社でさえも、神に呼ばれたものしか参れないと言われているのです。

ましてこの山の中、呼ばれなければ誰がそこに行けましょうか。

 

実はね、その石塔の一つで行者のような人物が彫られていたものが

前のめりに倒れていたのですよ。

それを私たちで起こしてあげてまた世の中が見えるようにしてあげました。

きっとこの神様が誰か起こしてよ、と呼んでいたのかもしれません。

このパワースポットが世に出ると行けないので

写真はこれだけにしておきます🌟

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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