こんにちは。
今日は日食の日です。
でも雨が降り始めているので空は雲に覆われて太陽を見る事は出来ません。
今頃月が太陽をかすめて移動しています。
家人は目には見えないけれどもそのエネルギーを感じたいと云って、
外で空を見上げながら体操しています。
とは言え本人は屋根の下ですよ。
ところで
皆さんは繕い物をされますか?
私は最近繕い物が多いです。
まずくつ下。
くつ下の重ね履きをして冷えとりを実践しています。
4枚重ねて履くんです。
絹、ウール、絹、ウールと云った風で最初に絹の五本指ソックスをはきますが、
これが薄くて直ぐすり切れてしまうのです。
最初は穴が大きくなると仕方が無いので捨てていました。
一足千円はするから捨てる時には心が痛んだ物です。
でもそれから穴が空いたら繕うようにしました。
私は若いときから下着類は絹を使っています。
冬の肌着なども穴が空いたりしているのでそちらも繕いました。
この間から繕い仕事が続いています。
二十年以上履いているシルクの毛糸のスカートもゴムの周りがほつれて来たので繕ってあります。
家人の木綿のソックスを繕ってから,繕い仕事に愉しみを感じるようになってます。
私の母親は
「子供に継ぎ当てをしたものは一つも着せなかった」とか、「お姉ちゃんのお古なんて着せた事が無かった」などと、
私たち姉妹に云ったことが有ります。
戦前戦中の物の無かった時代を知っている母は、
経済成長時代になって子供達にも新しい下着を買う事の出来る暮らしがさぞかし嬉しかったのでしょうね。
子供時代は
遠足や学芸会の度に近所の洋品店で新しいブラウスや上着やスカートを買ってもらったのを覚えています。
襟にフリルがついて刺繍のしてある白いブラウス。
茶色の円形スカートにはプードルがお花を乗せた車を押すアップリケがついていました。
そんな子供時代を過ごしたので私には繕い物をする習慣が無かったし、教えてもらわ無かったわね。
くつ下や肌着のほつれを繕いながら、今になってそんな子供時代の事を思い出します。
以前はあまりやらなかった繕い物を今になって愉しめる事がなんだか嬉しいですね。
物資の乏しかった時代を通って来た母は物質を豊富に与える事が幸せの証しと考えていたし、
有り余る物資の中で育った私は、この年になって豊富に有る事よりも良いものを大事に使い尽くす事の贅沢を
幸せと感じ味わい愉しんでいます。
繕いの有る衣服が貧しさを意味する時代が終わり、
それが善き心がけと意味されるようになるのはいつの事でしょうか?
基,そんな時代は果してやって来るのでしょうか?
母子でも幸せの価値観は何と違う事でしょう。
社会の背景が全く違います。
経験が全く違います。
それでも彼女が特別な存在であるのは私たちが母と子だから。
繕い物をしなかった母の事を思い出しながらゆっくり手を動かしています。
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今日は日食の日です。
でも雨が降り始めているので空は雲に覆われて太陽を見る事は出来ません。
今頃月が太陽をかすめて移動しています。
家人は目には見えないけれどもそのエネルギーを感じたいと云って、
外で空を見上げながら体操しています。
とは言え本人は屋根の下ですよ。

ところで
皆さんは繕い物をされますか?
私は最近繕い物が多いです。
まずくつ下。
くつ下の重ね履きをして冷えとりを実践しています。
4枚重ねて履くんです。
絹、ウール、絹、ウールと云った風で最初に絹の五本指ソックスをはきますが、
これが薄くて直ぐすり切れてしまうのです。
最初は穴が大きくなると仕方が無いので捨てていました。
一足千円はするから捨てる時には心が痛んだ物です。
でもそれから穴が空いたら繕うようにしました。
私は若いときから下着類は絹を使っています。
冬の肌着なども穴が空いたりしているのでそちらも繕いました。
この間から繕い仕事が続いています。
二十年以上履いているシルクの毛糸のスカートもゴムの周りがほつれて来たので繕ってあります。
家人の木綿のソックスを繕ってから,繕い仕事に愉しみを感じるようになってます。
私の母親は
「子供に継ぎ当てをしたものは一つも着せなかった」とか、「お姉ちゃんのお古なんて着せた事が無かった」などと、
私たち姉妹に云ったことが有ります。
戦前戦中の物の無かった時代を知っている母は、
経済成長時代になって子供達にも新しい下着を買う事の出来る暮らしがさぞかし嬉しかったのでしょうね。
子供時代は
遠足や学芸会の度に近所の洋品店で新しいブラウスや上着やスカートを買ってもらったのを覚えています。
襟にフリルがついて刺繍のしてある白いブラウス。
茶色の円形スカートにはプードルがお花を乗せた車を押すアップリケがついていました。
そんな子供時代を過ごしたので私には繕い物をする習慣が無かったし、教えてもらわ無かったわね。
くつ下や肌着のほつれを繕いながら、今になってそんな子供時代の事を思い出します。
以前はあまりやらなかった繕い物を今になって愉しめる事がなんだか嬉しいですね。
物資の乏しかった時代を通って来た母は物質を豊富に与える事が幸せの証しと考えていたし、
有り余る物資の中で育った私は、この年になって豊富に有る事よりも良いものを大事に使い尽くす事の贅沢を
幸せと感じ味わい愉しんでいます。
繕いの有る衣服が貧しさを意味する時代が終わり、
それが善き心がけと意味されるようになるのはいつの事でしょうか?
基,そんな時代は果してやって来るのでしょうか?
母子でも幸せの価値観は何と違う事でしょう。
社会の背景が全く違います。
経験が全く違います。
それでも彼女が特別な存在であるのは私たちが母と子だから。
繕い物をしなかった母の事を思い出しながらゆっくり手を動かしています。


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