大野威研究室ブログ

おもにアメリカの自動車産業、雇用問題、労働問題、労使関係、経済状況について、最近気になったことを不定期で書いています。

ヘイトスピーチ規制を憂慮する日本の一部マスコミを憂慮する

2013年10月12日 | 日記

 先日、京都地裁は、学校法人京都朝鮮学園の門前で在特会がおこなったスピーチを、国連の人種差別撤廃条約が禁止する人種差別と認定。在特会に対し、学校の半径200メートルでの街宣禁止と約1200万円の賠償を命じた。

 そして同日夕、菅義偉官房長官は「ヘイトスピーチと呼ばれる差別的発言によって商店などの営業や学校での授業、各種の行事、催し物が妨害されているということには極めて憂慮すべきものがある」と憂慮の念を示した。

 YouTubeでは、当日のヘイトスピーチを見ることができた。これを見た人なら、京都地裁の判決をおかしいと思う人は本当に極少数だろう。

 ところで気になるのが、一部マスコミの反応だ。言論の自由に例外を設けると危ないという意見がたくさん出ている。これについては、そもそもいま日本は例外なく言論の自由が保障された社会なのかと思う。

 ドイツのようにヘイトスピーチを禁止する国がある一方で、アメリカはヘイトスピーチの規制をおこなっていない。連邦最高裁が、ヘイトスピーチを禁止した地方条例を、表現の自由を保障する憲法修正第1条に違反すると判断しているからである(R.A.V. v. City of St. Paul, 1992) 。言論の自由に例外を認めないというのがアメリカの基本的スタンスなのである。したがって当然のことながら、アメリカでは政府が教科書を検定することはできず、政府が特定の歴史的見方を押し付けることは不可能になっている。だから進化論を否定する教科書も存在する。また教師に対し、アメリカ国旗への宣誓、国歌の唱和、起立を強制することもできない。さらにアメリカでは公務員にも政治活動、政治的発言の自由が100%保障されている。これらはすべて表現の自由にかかわると判断されているからである。ここまで徹底していれば、表現の自由に例外を認めないという主張に納得する人もでてくるだろう。

 一方日本はどうだろうか。日本では、上であげたすべてに罰則を含む強い規制がすでに存在している。それに対し、今回の判決は学校の半径200メートル内での街宣を禁止したものに過ぎない。すでに存在する大きな規制について触れず、この判決だけを言論の自由に風穴を開ける例外であるかのように騒ぎ立てるのはいかがなものか。