この週末の土日は非鉄でありました・・・
土曜日は早朝の地震の影響もありダイヤはダダ遅れでしたし、そんなこんなでお天気は最高でしたので子供と一緒に公園へ
本日の日曜日は午前中 自治会の総会がて朝練には行けず、家に帰ってしばらくサボっていた庭の草取り、窓拭きなど家の用事を済ませた一日でした。
ま、一家の主ですし たまにはしっかり家の事もしとかんとね~(笑
4/9のトワイライトエクスプレス ランチクルーズを追っ掛けて呉線内で撮影
呉線での追っ掛け撮影の後、前々から気になっていたとある場所へ
それは呉市 安浦町 安浦漁港
そこには第二次世界大戦で鋼材不足を補うため建造されたコンクリート船「武智丸」が
安浦漁港の防波堤として残っているのです。
前回 呉線トワイライト撮影後に訪れた折は船入り口の柵が閉まっていて見学出来ませんでしたので今回もう一度訪れてみました。

漁港内の武智丸の脇には船の経緯や防波堤の由来などが書かれた看板が設置されています。
この写真では少々読みにくくはありますが興味のある方は一読下さい。

引き潮で防波堤として設置されている様子がよく判りますね。
手前が第一武智丸 奥が第二武智丸
駐車場より鉄製の通路がありますので船内に入る事ができます。

第一武智丸の船室跡から船首を見たところ
写真の中央長四角開口部が操舵室跡だと思います。

船室内部 コンクリートで覆われて船というより何かの建物のような光景

第二武智丸 向こうが船首 海水が入っていますが船倉部跡

第二武智丸の船首から船尾方向を見たところ
船倉部跡を覗く友情出演の国鉄育ちさんから船の大きさを想像していただきたい。
戦時下の物資不足の中で建造されたコンクリート船
コンクリート船自体は19世紀中頃に誕生していたようですが、木材や金属でない船は私のアホな頭のなかでは昔話の 「かちかち山」 に出てくる泥舟くらいにしか想像していませんでした(爆
しかしながらこれも現代に遺された戦争遺産として、これからも漁港の防波堤として後世に残してほしいです。
※ この「武智丸」については多くの方がネットで詳しく書かれておられますのでそちらをご覧いただければと思います。
何だか写真だけで丸投げみたくなってしまいましたが、取り合えず私が船を見たかったから・・・スマソ(笑
土曜日は早朝の地震の影響もありダイヤはダダ遅れでしたし、そんなこんなでお天気は最高でしたので子供と一緒に公園へ
本日の日曜日は午前中 自治会の総会がて朝練には行けず、家に帰ってしばらくサボっていた庭の草取り、窓拭きなど家の用事を済ませた一日でした。
ま、一家の主ですし たまにはしっかり家の事もしとかんとね~(笑
4/9のトワイライトエクスプレス ランチクルーズを追っ掛けて呉線内で撮影
呉線での追っ掛け撮影の後、前々から気になっていたとある場所へ
それは呉市 安浦町 安浦漁港
そこには第二次世界大戦で鋼材不足を補うため建造されたコンクリート船「武智丸」が
安浦漁港の防波堤として残っているのです。
前回 呉線トワイライト撮影後に訪れた折は船入り口の柵が閉まっていて見学出来ませんでしたので今回もう一度訪れてみました。

漁港内の武智丸の脇には船の経緯や防波堤の由来などが書かれた看板が設置されています。
この写真では少々読みにくくはありますが興味のある方は一読下さい。

引き潮で防波堤として設置されている様子がよく判りますね。
手前が第一武智丸 奥が第二武智丸
駐車場より鉄製の通路がありますので船内に入る事ができます。

第一武智丸の船室跡から船首を見たところ
写真の中央長四角開口部が操舵室跡だと思います。

船室内部 コンクリートで覆われて船というより何かの建物のような光景

第二武智丸 向こうが船首 海水が入っていますが船倉部跡

第二武智丸の船首から船尾方向を見たところ
船倉部跡を覗く友情出演の国鉄育ちさんから船の大きさを想像していただきたい。
戦時下の物資不足の中で建造されたコンクリート船
コンクリート船自体は19世紀中頃に誕生していたようですが、木材や金属でない船は私のアホな頭のなかでは昔話の 「かちかち山」 に出てくる泥舟くらいにしか想像していませんでした(爆
しかしながらこれも現代に遺された戦争遺産として、これからも漁港の防波堤として後世に残してほしいです。
※ この「武智丸」については多くの方がネットで詳しく書かれておられますのでそちらをご覧いただければと思います。
何だか写真だけで丸投げみたくなってしまいましたが、取り合えず私が船を見たかったから・・・スマソ(笑