「憂う」について考える(1)。
東京では、「志村建世」氏が自らのブログで今の世を憂い、新宿西口で一人デモを行い、国会周辺散歩デモを行われている。川崎では、ブログ名「みどり」さんが、三十一文字に思いを込め今の世を憂いている。目を転ずれば、北海道の小さな漁村で、「かわぐちえいこう」氏が村の未来を、<msnctyst w:st="on" addresslist="01:北海道函館市;" address="函館市"> 函館市
憂うという事は、この国が嫌いではないことを指している。
吉永小百合はボランティアで原爆詩の朗読をし、広島原爆資料館の案内も彼女の声である。彼女もまた、今の世を憂いている一人である。俳優の「山本太郎」もまた原発を憂い、脱原発に向けて立ち向かっている。
建設現場では、「危険予知活動」という物に取り組んでいる。その日の作業の中に潜む危険を事前に予知し回避しようというものである。建設現場から一人でも犠牲者を減らそうというところから始まった活動であるが、これもまた憂いから始まったことだ。
憂いを考慮に入れないと必ず大きな事故につながる。戦争もまた大きな事故の一部だ。政治が憂いを失うと、必ずや大きな犠牲が生じる。
福島の原発もまたその一つに過ぎない。事故直後、原子炉を施工した業者は、原子炉は地震では破壊されなかったと胸を張って見せたが、津波によって無残にも破壊された。彼らに欠けていたのは「危険予知能力」であったのだ。地震が起これば津波が起こる。常識である。常に事故を憂いていれば簡単にたどり着いた結論である。
中国電力は、島根原発に高さ15mの防潮堤を、福島原発事故直後突貫工事で行った。自らが「危険予知」していなかった事を認めたのだ。その後島根県は、1000年に一度の割合で巨大地震に見舞われることが判明し、慌てて高さを35mまでかさ上げした。柿本人麻呂はこの地震に遭遇している。
「憂う」という基本的行動が日本の企業には欠けているように思う。いやいや企業だけではない。政党にもかけている。私は選挙権を得てからこの方、初めて選挙運動をしなかった。自民党候補者は、同級生の後をついで比例区からの鞍替えであったので、同級生から支援要請の電話があったが一言で断った。「あの候補者は、虫が好かない」。後輩にあたる民主党の候補者からも応援の要請があったが、此方もお断りした。
憂いてみての結論は、もともと原発を推進したのは自民党である。自民党がその後始末をやれば良い。ただその為に国民を泣かす様な事になれば、その時にはお灸を据えれば良い。その機会は3年に一度必ずやってくる参議院選挙である。
自らを憂い、恋人を憂い、国を憂い、地上の人間すべてを憂いている歌手がいる。彼の歌を是非お聞きください。
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