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肉食の系譜
ヨコハマ恐竜展2014 新説・恐竜の成長
‥‥2年前の大阪と同じだった。よって感想も同じだが、2年前の記事を見るとニュアンスが異なる部分もあるので、違う観点を追加する。
前に述べた通り、この恐竜展は特定の仮説(ホーナーグループの一連の研究成果)を理解させる優れたプログラムになっている。トロサウルスはトリケラトプスの成体である、角やフリルは同種内の識別のため、ドラコレックスもスティギモロクもパキケファロサウルスである、ティラノサウルスはスカベンジャーであった、という一つの主張を強調し、断定している。このホーナー節、あるいはプロパガンダ色については2年前にも言及しているが、今回はリテラシーというものについて考えさせられた。
日本の研究者が監修した恐竜展なら「‥‥と考えられているが、異なる意見もある。」「研究者の間で議論があり、意見が一致していません。」と慎重かつ客観的に述べるところである。他の研究者から「トロサウルスはトリケラトプスではない」という対立した論文も出されている状況で、小さい子ども向けに「洗脳プログラム」を与えることは、日本では考えにくいとも感じた。
科学的知見に対する世間一般の人々の捉え方が、研究者とはかなり異なっていることは、今年の大事件でも明らかになった。一つの論文が出版されたからといってそれで確定ではなく、長い時間をかけて検証されて、定説が形成されていくわけである。新しい根拠によって、長年の定説であったことが覆ることも十分ある。ましてや論文が捏造されたものとわかり撤回されれば、論外である。「なんとか細胞が存在する、作れる」という根拠である論文が否定された以上、検証実験などに意味はない。期限付きの実験を行って決着がつくものではない。意図的な捏造論文はレッドカードで一発退場の事案で、検証実験の結果がどうあれ、罪が軽くなるわけではない。
しかし論文とはどういうものかよく知らない人が、先にマスメディアの情報を聞いて印象付けられてしまうと、「論文不正があっても、なんとか細胞の存在は否定されたわけではない」などと意味不明のことを言い始める。どうしても先に聞いた情報の方を信じてしまうという心理的傾向もある。だからプロパガンダは問題なのである。
特に、提示されている内容以外の、他の考え方、他のデータが存在することさえも知らせないのは問題がある。また解説文の随所に、印象操作のためのレトリックがちりばめてあるのも気になった。それ自体は間違いではないが、特定の方向に誤解を招く表現というのも可能なわけである。
「ティラノサウルスがトリケラトプスを殺した証拠はありません。傷が治癒していないことから、トリケラトプスは死んでいたことがわかります。」これは、(1)捕食者に襲われたが、逃げのびてしばらくの間生きていた------傷が治癒した跡がある、(2)捕食者が生きた獲物を襲い、殺して食べた------治癒した跡はない、(3)屍肉食者が死体を見つけて食べた------治癒した跡はない。つまり治癒した跡がある稀な場合のみ、特定の結論が出せるのであって、治癒した跡がない場合は(2)と(3)の区別はできないのでは?そういえば最近どこかで、何の恐竜だったか(1)の報告を見かけたような。。
国民が、特定の政党や宗教団体の機関紙と知っていて読むなら問題はないが、中立公正な新聞と思っているのに偏向報道するのでは問題がある。常に複数の情報源をあたってその情報が真実かどうか検討する習慣のある人にとっては、あまり問題はない。まさか天下の大新聞が、裏付けも取らずに誤報あるいは捏造記事を垂れ流して、30年も謝罪・訂正しないとは普通の読者は想像できない。捏造や偏向報道の自由などない。この場合も都合の悪い事実は報道しないで、印象操作することは可能なので、リテラシーが大切である。
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