気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

ワット・アルン

2018-04-10 | 旅行記

バンコクの観光は、王宮とワット・プラ・ケオから始まるなどと案内しているガイドブックが多かった。

当初はその順路を計画した・・・電車で王宮の最寄りの駅まで行き、そこからタクシーを利用しようと考えていた。

次に隣ブロックに進むと涅槃仏で有名なワット・ポー(ポー寺)があり、さらにチャオプラヤー川を渡し船で渡り対岸のワット・アルン(アルン寺)の観光コースだった。

・・・タクシーは、初乗り料金が安く捕まえやすいが、渋滞区間を通ることを理由に乗車拒否されたり、メーター不使用で高額料金を請求されることがある・・・などに注意ともあった。

ワット・アルンの後は、・・・どうするか、郊外の遺跡アユタヤーに行くには、・・・バンコクの北方約75㎞に位置していた。

江戸時代より長い400年以上の王朝が、日本の戦国時代に繁栄していたそうです。日本との貿易も盛んであの有名な日本人も・・・。

そんなアユタヤー遺跡を回るにはレンタカーが欲しい、無理だとすると電車と徒歩では、・・・熱射病になる、・・・ツアー!、オプショナルツアーがあった。

・・・バンコク到着前日に計画を変更し、対岸のワット・アルンを比較的時間に正確なフェリーで最初に訪問する方法を探しだしたのだった。

しかし、行き過ぎて結果的に早々にタクシーにお世話になった。メーター通りの料金にチップで50B未満だったと思う。

建屋の先に塔が見える。・・・飾り気のないここは裏門でしょうか?、 境内を見ると、・・・すぐ右側に切符売り場があった。

入場券:50B(180円位)

にぎやかな団体客が右側からやってきました。・・・高校生の課外授業でしょうか?

空を見上げるような塔が目前に迫っています。

この建物は、いきなり・・・メインディッシュ・・・でしょうか。

・・・雷門を抜けて、門前町、仲見世通りをユックリ散策してから山門、左に五重塔、右に手水舎、正面浅草寺本堂と徐々に気分が高揚するのは良いものです。

残念ながら、境内の情報を持たないまま裏から入ったので、突然の大仏塔に・・・この高い塔が多分タイのコイン(10B)に描かれた高さ75mの仏塔でしょう。

・・・左側に大きな掲示板があります。

仏像に登るのは厳禁・・・などの注意事項ですが、NOという文字と写真が目立ちます。

タンクトップ、背中の露出、短パン、全て入場にふさわしくない服装で、×と分かり易いです。

・・・空港で出迎えてくれた現地ガイドさん(女史)が車中で、この服装では寺院に入れませんよ、着替えて下さい

とアドバイスされたのがダメージパンツ、・・・ジーンズで若干膝頭が見える服装でもOUTとのことでした。

・・・看板の左下の部分は、・・・なぜか覆い隠されています。

この部分は従来は規制していたのですが、最近OK、入場認めましょう・・・と基準を緩めたのはなぜでしょう?・・・正解は?・・・ワカリマセン

少し左に回り込んで、塔から目一杯離れて全景を・・・、と思ったのですが思いのほか境内が狭く、後ろに下がれずファインダー内に収まりません。

階段の前には四天王のようなガードマン、・・・とにかく、ここは境内の中でどのような状況にあるのでしょうか?気になります・・・

目の前の階段を登り、出来るだけ高い位置を目指します・・・

周回できる廻廊があります。

床からの立ち上がり部には、陶板のようです。中国の影響でしょう、空間の処理が上手ですね。

 

 さらに上部にも回廊があるようです、これだけの絵柄を陶器で焼くのは、相当な資力です。。

この幾何学文様は中華のようで、・・・イスラムの影響も受けているのでしょうか

1/4周もすると、上段に続く階段がありました。

この階段は最近まで登れたのですが・・・、昨年秋、全体の修復工事が終了して喜んでいたのですが・・・、

国王が変わり、登坂は禁止となりました。上部の階段は相当急傾斜です、禁止でやむを得ないでしょう。

塔の上部に牙のような物が見えます。

牙が3本?・・・いや、大きく長い3本は、象の鼻ですが、3面象?頭が3つありました。

この像の上に騎乗している者がおります、右手に何かを持っています。・・・これは調べてみましょう。

・・・検索(ウィキペディア)で調べると、インドラ神が三つの頭を持つ象アイラヴァータの上に鎮座しているとありました。

インドラ神:古代インドの神話における天界の軍神、像に乗り金剛杵の武器を持つ。

・・・このタイ国は仏教王国ですが、仏教が生まれたのはインドです。

インドでは、紀元前カースト制度のバラモン教と後に呼ばれる宗教が生まれ、バラモンという最上位の身分の者は僧侶達でした。彼らによってインドの神様がたくさん作られたようです。

日本の奈良時代もそうだったようですが、特権階級の僧侶はやがて腐敗してしまいます・・・改革しようと仏教 が生まれ、バラモン教は衰退をしながらも変化して生き延びます。

その後、西からイスラム教も渡ってきます。偶像崇拝を禁止するイスラム教は、仏教を圧迫したでしょう。

今日、そのインドは身分の低い階層の信仰をも取入れ、バラモン教から変化したヒンドゥー教の国です。

インドの北部チベットのカイラス山(標高6656m)は、チベット仏教などでは信仰の山とされ聖地ですが、この山は古代インドのヒンドゥ-教でも聖地とされ、宇宙の中心の創造の山、須弥山(シュミセン)となって神話の世界に登場します。

この須弥山の頂上には天上界があり、忉利天(トウリテン)と称される所に喜見城(キケンジョウ)があり、そこに帝釈天(タイシャクテン)が住んでいるとのこと。

・・・まさにこの階段の上の一角が忉利天であり、神の乗り物とされる象と帝釈天がそこに存在しているようです。この頂が天上界の一部のようです。

・・・この階段の麓の回廊で振り返ると、黄金の仏像がありました。

よく見ると、これは珍しい・・・門弟のいる光景です。

こちらは、仏陀と菩提樹 では無いでしょうが、その様な雰囲気の構図です。

再度、振り返ってこの境内で一番高い仏塔を見てみましょう。

塔の先端は、写真で見るチベットのカイラス山に似ています。

これはシヴァ神の象徴の形(バラモン教)でもあり、神話の時代は・・・ギリシャ神話の神も元気で色欲です。

・・・ヒンドゥー教では、輪廻転生(六道の世界)の教えがあります。

六道の世界(六欲界)は日本の仏教でもよく見かけますが、・・・天上界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界の世界を輪廻転生(リンネテンショウ)、・・・生死を繰り返すとの教えです。

須弥山(シュミセン)の中腹から下側は、・・・当然ながら人間界などの五道があり、上の方に天上界があるという。

階段でかつて登れた最上段までが人間界であり、それから上段は天上界を表わしているのでしょう。

天上界は、想像上の須弥山の山頂までが二層に分かれ、下天(ゲテン)・・・(信長が人間50年、下天に・・・使った下天です)その上に、忉利天(トウリテン)があるとされます。

・・・各種資料を斜めに目を通すと、高野山で空海が根本大塔で曼荼羅の世界を立体的に具現化しようとしたように、

神話の世界、宇宙論を具現化しようと、従来の高さ16mの仏塔を現在の約75mの大仏塔に大改修されたのは、19世紀、ラーマ3世の時代とあります。

中央に大塔、周囲に小塔を4塔配置し須弥山の世界を表現しているようです。

四方の峰に(4つの小塔)八天があり、(小塔は、下側はスリムな形だった)

これらを合わせると三十三天と呼ばれます。

・・・天上界はまだ続き、ここから上は四段階の層になり、山頂の上空・・・空中に浮いているそうです。(計六層が天上界との教えです)

 

この天上界まで、欲望や煩悩と縁が切れない六道の世界、・・・輪廻転生の世界です。

ではその天上界の上には、声聞界(ショウモンカイ)、縁覚界(エンカクカイ)、菩薩界(ボサツカイ)、仏界(ブッカイ)があるという。

この古代インドの教えや、仏教では、六道と天上界の上の仏界まで合わせて十界(ジッカイ)であり、

仏界にあるのが、・・・天国ではなく・・・極楽浄土、・・・仏教の極楽浄土の世界は、この天空にあるとの教えです。

・・・境内の隅に移動して、小塔から奥の大塔を見上げてみます。

大塔の上部の階段が急傾斜なのが分かります。

・・・下界で、向こうに黄金の仏像が見えます。

優しい顔立ちの仏像でした。

境内の散策がほぼ終わり、思ったより狭い、正方形のようです。

・・・出口に向かいましょう。

ここにも恵比寿大黒様のような仏像がありました。

そして、警備員がいる正面から・・・境内を後にします。

大半の観光客はこちらの正面入り口からの入場となります。

左右にある建物・・・境内に向かって、右側の内部に入ってみましょう。

いきなり華僑の香り、中華の雰囲気です、提灯が下がり・・・

金色、赤、緑、鮮やかな色彩が溢れ、奉納品が所狭しと・・・

奥には、落ち着いた雰囲気の仏像が沢山・・・寺院を出て

ここまで離れてくると、やっとワット・アルンの全景が見えてきます。

左から小塔(大塔と形が同じ)、一つ飛ばして、中央に大塔、重なって手前に小塔、また一つ飛ばして右端木立の向こうに小塔と見えています。

残る小塔は、大塔の裏側にあり、四方を囲む配置が見て取れます。

更に川の上流側に少し移動します。

案内板がありました。

・・・北にあたる右側が川です、上流は上(西側)です。

上流に行き過ぎてタクシーで左側の道路を上から戻ってきて、中央よりやや下の小道を右側に進んで大きな正方形の境内に入ったのでした。

正方形の境内の右側に、小さな二つの長方形の建物があり、この間を通って正面入り口から出てきました。

そして上流(上方)に進むとこの案内板があり、近くには長方形の大きな建物があります。

これが、その建物です、このようなタイ国らしいオレンジの屋根の寺院は、温かみを感じさせてくれます。

タイ国政府観光庁のワット・アルンの案内文です。

アルンとは「暁」という意味で、三島由紀夫の小説「暁の寺」に描かれた寺院です。

アユタヤ時代に建立され、当時はワット・マコークという小さな寺院でしたが、1779年、トンブリ王朝のタクシン王がエメラルド仏を祀りワット・アルンと名付け、第一級王室寺院としました。

トンブリ王朝からチャクリー王朝となってからはワット・プラ・ケオが第一級王室寺院となり、エメラルド仏も移されました。

大仏塔の右にある本堂はラーマ2世の建立で、台座には王の遺骨が納められています。

本堂 です。

門番のヤック(鬼)がいます。

これは、タイ人は誰でも知っている「ラーマキエン物語」(古代インド、バラモン教の「ラーマヤナ」のタイ国版。

冥界が登場し王が王妃を取り戻すギリシャ神話のような、

昔話の鬼退治のような、ヤマタノオロチが登場する建国物語のような、

元祖インド版は悲しい最後、タイ国版はハッピーエンドで長い物語に・・・そんなこんなで鬼も人気があるのでしょうか。

船着き場は、何ヵ所かありましたが上流のこの建物から、対岸に渡りましょう。

WAT PHO と赤い大きな矢印で分かり易いですね。

片道切符4Bを購入し、間もなく乗船です。

 

少し上流に進みユーターン、横断です。のどかな春の海、下流に高層ビルが見えます。

 右にワット・アルンです。

・・・やはりワット・ポーから川を渡って、・・・この全景を、この景色を眺めてからワット・アルンに入場するのがお勧めです。

 

直ぐ対岸かと思っていましたが、なぜか横断と接岸に時間がかかっています。

大きなエンジン音を響かせて、危険なボートが結構走っています。

何故このような水しぶきを飛ばして走行しているのでしょう?

多分、他から取り外した中古エンジンを再利用しているようです。

エンジンを船底において水平にシャフトを伸ばし、船尾に孔をあけ(防水して)船外にスクリューを取り付けるには・・・難しい。

エンジンを船尾の甲板の台に取付け、台を上下左右に動くようにします。

そのままシャフトを長くして、スクリューを水面から水中に上下に動かしながら出し入れしているのです。

水平に近くなれば推進力が大きくなるので、水面近くでこのような水しぶきを上げながら他の迷惑顧みず商売に励んでいるように見えます。

 やっと、ワット・ポー側に接岸します。

桟橋から・・・この小屋を目指します。

建物内では、渡し船の切符売り場があり、食堂や売店もあります。

薄暗い通路を抜けて・・・AM9:40 まだ10時前でした。

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