気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

アユタヤへ

2018-05-07 | 旅行記

寺院(ワット・プラ・ケオ)の周囲を見渡してみましょう。

中央の寺院は?・・・資料によればプラサート・プラ・テープビドーンでしょうか。ラーマ4世が建立というと、ラーマ1世の孫にあたる人物です

この新しい寺院に、チャックリー将軍(ラーマ1世)が戦利品として持ち帰り、国の宝となったエメラルド仏を安置する予定だった。

しかし、完成後、・・・仏教行事を行うにはやや手狭で安置を断念し、替わりに歴代国王の像を安置することになったそうです。

寺院は、公開されていません。

多くの仏塔・建物をファインダーの中へ納めるのに一苦労・・・

日差しが強くなってきました、・・・時間は11時近い、

エメラルド仏は、現在本堂の西側に安置されています。

本堂内へは、入口の外にある下足棚に履物を置き、拝観することになります。

そろそろ この一角、ワット・プラ・ケオ寺院から、宮殿内に戻ることにしましょう。

廻廊には6つの門があり、各々1対の鬼が立ってい。ます

この大きな鬼の門番に挨拶して、・・・日傘が進む、出口方向に続きましょう。

出口の先では、多くのグループ(団体)が集合していました。あちこちで、人数確認が始まっています。

おそろいのハットは、引率する方にとっては識別しやすくて便利ですね!・・・人混みの間を縫って先へ進みます。

緑の芝生に囲まれた チャックリー・マハー・プラサート殿 が存在感を示していました。

洋館に屋根の上だけタイ風な感じです。

パンフレットによると、ラーマ5世により建てられ、1882年のバンコク王朝(チャクリー王朝)100年祭に完成したとあります。

イギリス人建築家にルネッサンス様式でと命ずるが、途中でタイ様式の進言を受け入れ・・・このようなスタイルになったようです。

・・・ラーマ2世(1世の子)の時代、隣国ビルマが度々侵攻してきたが、1822年西方インド・ベンガル地方にビルマが侵攻し、

・・・1824年、進出していた英国と戦争になり、ビルマは英国に占領されるきっかけになりました。

ラーマ1世が崩御すると、前王朝のタクシン王の子が反乱を起こします・・・

しかし、ラーマ1世の孫が制圧を命じられ・・・この反乱を制圧し、後にラーマ3世として即位します。

ラーマ4世は、前王朝以来続いていた清への朝貢を1854年に止めます、・・・そして西洋と自由貿易を開始し米を輸出します。

・・・さて、この宮殿を建てたラーマ5世は、現在のタイを作った国王として有名で、国民から絶大に尊敬されています。

即位が1868年10月1日です。即位後、欧米を視察旅行して自国の弱体を痛感されたのでしょう、改革に着手されます。

・・・(時を同じくして、日本では何が 起こっていたのでしょう。

1868年10月8日から一ヵ月間に渡り、幕府側の会津藩が会津鶴ヶ城に籠城すると、板垣退助の新政府軍は大砲を撃ち込んでいます。

徳川将軍が白旗を上げ謹慎していました。しかし、薩長は 内戦 に持込み、徳川側の人材をせん滅させ、主導権を握ろうと・・・。)

さて当時タイでは、英国やフランスが隣国を植民地にしていました。

ラーマ5世は他国のようにヨーロッパの植民地にはならずに、タイの領土の一部をイギリスやフランスに割譲して独立を守ります。

ヨーロッパの制度を取り入れ、奴隷解放し、中央集権化を進め近代国家へと・・・絶対君主制を確立しました。

1944年発行された小説「アンナとシャム王」、これを原作としたミュージカルや「王様と私」が欧米でヒットしました。

後進国のアジアの王が幼少時代、王宮で家庭教師アンナの影響を受け、・・・西洋化を遂げ、奴隷解放にも影響を与えた。

・・・そのモデルがラーマ5世で、欧米では先進国の家庭教師?・・・の美談でも、タイ国では上演されないそうです。

ラーマ6世はイギリスに9年間留学し、1910年11月に即位します。この王が歴代国王を「ラーマ**世」と呼ぶように決めました。

1917年7月、連合国側から第一次世界大戦に参戦し、その後国際連盟に加盟し、独立王国としての地位を確立しますが、・・・タイ国の財政は最悪。

弟のラーマ7世の時代1932年に、チャクリー王朝 150周年の式典を執り行います。

その後、クーデターにより絶対王政が終わり、立憲君主制国家となります。

王も望んでいたようで、絶対権力者から国家元首、新国家の象徴となり、国名も1939年6月シャムからタイと変更されました。

・・・ラーマ8世は1935年即位するもスイスで学業を続け、1945年第二次大戦後帰国したが、1946年他殺説が強い変死を遂げます。

そして、ラーマ5世の69番目の子息が即位します。当時、国王への信頼も権威も低下していました。

ラーマ9世 は努力し、1946年6月から70年間と長期間国王の座に有り、国民に慕われ、人気もありましたが 2016年10月 に88歳で崩御。

・・・子息は1男3女ですが、長女は外国人と結婚し、王位継承権は無くなっています

長男ワチラーロンコーン、1972年王位継承権、次女シリントーン王女1975年王位継承権が贈られています。

3女は王族以外との男性と結婚しましたので、王位継承権は無くなっています。

この長男がーマ10世として、2016年12月1日正式に国王に即位。

軍人の経歴が長く、離婚、結婚、離婚、結婚・・・他に愛人の風評があり、新国王の評判は?、ウッカリ話せない。

・・・シリントーン王女を待望する国民が多いとか、ラーマ10世の今後が気になります。

・・・

・・・王宮に入った正門(チャイシー門)から西に100m程離れたテ-ウェッド門が出口だった。

出口から東に進み、再度正門の前を通り大通りに出る、目の前は官庁街、国防省の横を東に向かって進む。

小さな運河を渡り、左の路地にはいると人気のスイーツ、アイスなどの青い街並みがあった。

この先東に400mくらいで大ブランコで有名な寺院があるのだが、割愛

タクシーでMBKセンターへ、タイ料理の昼食後、近くのサイアム・デザインホテルに・・・

午後のオプショナルツアー アユタヤ観光の集合場所です。PM1:00、大型バスはクーラーを利かせて待っていました。

近くの高速道路から郊外へ・・・チャオプラヤー川の上流に向かいます。

バンコクから北に80㎞くらい、アユタヤの中心部に入る手前に、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンがあります。

平日の午後、バンコク市内で若干渋滞し、現在時間 PM2:30近い、

市内より郊外が気温は高いようで 38℃くらいと聞くと首筋が痛くなってきた。

慌ててスポーツタオルを取出し、頭を覆いキャップを被って、扇子で風を送る。

・・・ドラえもん人気に驚いた祠の先で、ガイドさんが入場券を購入している、(20B位)

その先右側に本堂があり、売店で金箔を購入し仏像に貼って化粧直しに一役買うこともできるようです

この国では熱心に参拝される方が多く、仏教が身近なのに驚きます。

この本堂の左横から裏側に進みます。

途中から上部が見えていたのですが、非常に高い仏塔の全景が見えてきました。

スリランカ様式と北部インド様式を取り入れた尖塔、円錐形状の仏塔のようです。

崩れたレンガの先、左側に大きな座像が笑みをたたえていました。

この寺院はガイドブックによると、1357年建立とあります。

1351年に王朝を開いたようですから、数年後に先ずこの寺院を建立したのでしょう。

少し右に進んで、・・・仏塔の正面に立ちます

・・・近過ぎて、全景が入らない。

では、下がれるだけ下がって、・・・無理。・・・結果、合成写真です。

この仏塔、高さは、後年・・・正確に測ると72m、

1592年から93年にかけて当時のアユタヤ王が侵略していたビルマ軍と戦い、勝利を祝って建てたそうです。

王朝を開いてから約240年、成熟した都の悩みは、隣国ビルマの侵略が繰り返されることでした。

戦勝記念です、ビルマ王がアユタヤ郊外に建てた仏塔よりも高く建てるよう命じたが、測量技術も未熟で僅かに低くなってしまった。

一方ワット・プー・カオ・トンは高さ80mの仏塔、1569年に因縁のビルマ王が占領してビルマ様式に改修し、後年アユタヤにより奪還されタイ様式に再改修されているようです。

この80mの仏塔はアユタヤ北西の郊外に現存しますが、観光ツアーのコースに組まれてないようです。

搭の反対側、本堂の裏手はこの様な・・・仏像が並んでいました。

では、左側の仏搭に登ってみましょう、

最上部には、洞窟状の礼拝場がありました。

少し下った正面階段の左右に階段があり、上部に登れます。テラス状の外周に出られ時計回りで展望できます。

レンガ色の屋根と緑が調和しています。暑い、しかし緑が多いのが目に優しく素晴らしい展望です。

仏像が整然と並んでいる様は、確かに仏教王国です。

かつてはこの画面に、数多くの僧侶が登場したであろうと思うと・・・宗教の持つ力を感じていた。

仏像の頭上にある巻き毛の螺髪は日本の大仏にも引き継がれていますが、この髪型は・・・

ミニュチュアの搭?いえ、「ラッサミー」と呼ばれ 火焔飾り、放射される光を表現されているようです。

階段を下った左側に、怪獣が・・・ヤマタノオロチの親戚でしょうか?

この右側にも座像が置かれています。

レンガ積みの破損跡が・・・いにしえの都、破壊・略奪された無念な都が何かを語りかけてきます。

こちらにも数多くの仏像が並んでいました。

・・・もう一か所、ドラえもんの近くに急いで移動します。壁面の裏側に涅槃仏が・・・

多分ここは建物で覆われていたのでしょう。裏側に回り込んでみましょう。

全体が分からない・・・離れて

白い涅槃像立像では疲れるし、坐像でも・・・、

この状態で静かに長い間

・・・何を見てきたのでしょう・・・。

コメント
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