ほうれん草とカキナに基準値以上の放射線物質が検出されたため、出荷制限を行うと聞いたとき、なぜ「ほうれん草とカキナだけ?」と思った。多分そう思った人はほかにもたくさんいると思う。
野菜の形状や植え方の違いで、放射線物質が付着する量に差はあっても、ほうれん草に高い値が出たなら、隣に植えられているほかの野菜からも放射線物質が検出されてもおかしくない。と誰もが思っただろう。雨だって、ほうれん草とカキナにだけ降るわけじゃないのだし。
原乳から放射線物質が検出されたとき、やはり「なぜ?」と思った。放牧飼育でも今は牧草が生い茂っている季節じゃないから、だとしたら飼料に放射線物質が含まれていたことになるけれど、おそらく飼料は原発事故が起こる前に生産されたものだろうから、やっぱり「なぜ?」だった。
その理由は発表からかなり経った日にテレビで説明されていたのだけど、牛が吸った息や飲んだ水から牛の体内に放射線物質が入り、それが原乳に出たのだという。
吸った息や飲んだ水なら、その地域の、というか牛の飼い主である酪農家さんだって、同じ空気を吸っているのだから、体内に放射線物質を取り込んでいることになるじゃない。
「冷静な対応を」と政府やテレビは呼びかけているけれど、一般消費者は普通に持つ疑問によって、買い控えをしているのではないのかなあ。
ある地域の農産物に摂取制限まで出されたら、同じ地域で栽培されているほかの農産物にも放射線物質は付着しているだろうと考えることは、冷静さを欠いていることだろうか。
まして子どもの甲状腺に留まりやすいというヨウ素が検出されていると聞けば、子どもをもつ親が不安になるのは、当然のことではないか。
「安全」と「安心」は違う。いくら安全だと声を張り上げられても、その確証を得られる説明が乏しすぎる。
飛行機に乗ったり、CTを受けたときの一時的な値ではなく、放射線物質が飛散してきている地域の人たちが欲しいのは、たとえば放射線物質が体内に取り込まれたときに、どれくらいなら自己治癒力で防御できるかとか、取り込まれた分のどれくらいが排出され、どれくらいがどこに溜まって、こんな悪さをするといった具体的な説明なのではないだろうか。
「ただちに」健康に害がないからいいというものではなく、次世代を生きる子どもたちが大人になったときにも、今回の原発事故による健康被害はないと言えるのか、世の親たちはそれを心配しているのだ。
「安全な食物なのに風評被害も甚だしい」と政府もテレビも言うけれど、「安心」できる説明がないのだと思うよ。
だからといって、今までの日本の基準は厳しかったから、ここへ来てその数値を上げるというのも、おかしなことだ。国民の安全と健康を守るために厳しい数値を出してきたのなら、それを全うすべきじゃないだろうか。
ここでまた急にそんなことをしようとするから、後手後手の曖昧な対応に国民は不安を募らせるのだ。
昨日カメラマンのカサハラさんから電話があって、「原発震災」という言葉を知った。カサハラさんが教えてくれた地震学者・石橋克彦教授はもう14年も前から、大地震によってまさに今回発生したと同じ状況の原発事故が起こりうると予測し、警鐘を鳴らしていた。「原発震災」とは石橋教授が名づけたものである。
「石橋克彦 私の考え」
http://historical.seismology.jp/ishibashi/opinion/2011touhoku.html
そして、さらにカサハラさんは、瀬戸内海祝島での原発反対活動をテーマにしたドキュメンタリー映画『ミツバチと羽音と地球の回転」』(2009年・鎌仲ひとみ監督作品)を、ぜひ観るといいと勧めてくれた。
映画『ミツバチと羽音と地球の回転」』オフィシャルサイト
http://888earth.net/index.html
現在は自主上映しかされていないけれど、上映場所を確認して見てみたいと思う。
原発はクリーンなエネルギーで、地球温暖化防止には最適であるというプロパガンダも、虚しいばかりだ。国際環境NGOグリーンピースのサイトには下記の記述がある。
「日本では近年、原子力発電が温暖化対策として推進されています。
発電量あたりの二酸化炭素排出量だけをみれば、原発は化石燃料と比べて少ないといえますが、原発は建設までに長い時間がかるうえ、放射性廃棄物や事故など深刻な危険がともない、さらに建設や点検・整備・解体に莫大な費用が必要です。
また原発は、出力の細かな調整ができないため、出力調整が容易な火力発電とセットで運転しなくてはなりません。
そして事故などで原発が停止したときに備えるためにも、火力発電所を必要とします。
つまり原発が増えても同じ分だけ火力発電所が減るとはいえず、原発推進は二酸化炭素の削減につながりません。」
二酸化炭素の削減にもつながらず、見えないところで人々の命を代償にしてつくり続けられてきた、便利で快適な生活を享受してきた都市部に住むひとりとして、ものすごくへこむ。