小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

自前のヨーグルト

2014-06-03 | 食・酒
 5月下旬、近くに住む知人から届いたファックスに「カルピスカイヨーグルトのタネはご要り用ですか」と書いてあった。カルピスカイ? 多分、カスピ海の間違いでしょう。

 10年以上前になるかなあ、やはり知人からカスピ海ヨーグルトのタネをもらい、作っては食べ、食べては作り、かなり長く使っていたのだけど、取材で長く留守にした時にダメにしてしまった。ヨーグルトはトチ、ブナ、クリにもあげていたし、カヤもよく食べる。自分でも好きなので、M乳業の宅配アイテムのひとつである。

 今後ヨーグルトを切らさずにいられるというのはありがたいし、自分で作ることができれば安上がりだ。ということで、タネをいただき、毎日のように作っている。お料理にも使えて、とても重宝。


 作り方は至って簡単。煮沸した瓶に、瓶の容量の3分の1くらいヨーグルトを入れ、パスチャライズ(低温殺菌)の牛乳を入れて、グルグルかき混ぜるだけ。今なら気温が高いので、常温数時間で発酵が進む。直射日光の当たらない場所においておけば、ぷるぷるに固まっている。ぷるぷるになったら冷蔵庫に入れる。

 私は350~400CCくらい入る瓶を2つ用意して、代わり番こに作っては食べ(タネ用に少し瓶の中に残して、牛乳を継ぎ足す)を繰り返しているのだけれど、瓶の口などについたヨーグルトはきれいに拭き取るようにし、いつまでも付着しているようなら、その瓶は洗ってまた煮沸して、新たにヨーグルトを入れて作るようにしている。

 牛乳はスーパーで買ってくることになったし、ヨーグルトは自家製造できちゃったので、M乳業の宅配はやめちゃうのです。ちょっと暗い宅配の人よ、さようなら。
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マルちゃんが逝った日に咲いたバラ

2014-06-01 | 植物
 私は特にバラが大好きで、庭には4種類のバラがある。「メヌエット」と「モッコウバラ」とこの春、新たに購入した「浪漫」、それに黄色い中輪の「エバーゴールド」。

 「好きで」と言うわりには「丹精を込める」という言葉には程遠く、実におおざっぱな手入れしかしていないのだけど、それでも今年は、ミノウスバの幼虫避けのために購入した「ニームオイル」をバラにも噴霧し始めたせいか、メヌエットや浪漫より遅く咲くエバーゴールドも元気!

 そういえば、エバーゴールドが開花したのは、ちょうどマルちゃんが亡くなった日だったなあ。

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黒ラブのマルちゃん逝く

2014-06-01 | 犬&猫との暮らし
 30日の夕方、執筆の手伝いをした単行本のゲラがPDFで届き、目をしょぼつかせながら読み込んでいると、「ポロン」とメールが届いたことを知らせる音が鳴った。

 差出人は、散歩仲間の黒ラブ・マルちゃんの飼い主である空手の師匠。

 件名「マル逝く」。

 えっ?! 慌ててメールの本文を読む。

 「マルが逝った クロラブ 雌 32kg 14歳と3ケ月」

 メールには亡くなった日の様子がざっくり書かれていた。

 5月28日の朝は早くから散歩をせがんで鳴き、朝4時頃家を出て元気に歩き出したそうだが、途中1時間ほどで具合が悪くなり、歩けなくなったらしい。
 公園で休んでいたけれど、いっこうに歩けるようにならないのでタクシーで帰ったとのこと。そして、その日「12時頃旅立った」と書かれている。
 

 ああ、マルちゃん! クリよりほぼ1歳年下で、何年にもわたって河川敷で時を共有してきた散歩仲間だ。毎日3~4時間に及ぶ師匠の散歩に付き合い、よく歩いた犬だった。

 この3年ぐらいは「マルの目や足腰、呼吸器の衰えを感じる」と師匠は言っていたけれど、ゼエゼエしながらも師匠のお供を欠かさなかったし、左前肢にできた腫瘤の手術をした後も、すぐに散歩に復帰してきた。

 そういえば、2012年の夏には、帰り際にへたばってしまって動けなくなり、ちょうど居合わせた私が、マルちゃんを荷台に乗せて車で家までに送ってあげたこともあった。あの頃すでに心肺機能はずいぶん低下していたのかもしれないな。


腫瘤の切除手術をしたマルちゃんの腕をマッサージしてあげている師匠

 マルちゃんはとてもおとなしい子だったし、トチ、ブナ、クリと同じ黒ラブだったこともあり、思い入れもあった。
 「丸いから『マル』にした」と師匠。幼犬時代だけじゃなく、シニアになっても丸かったマルちゃん。

 打ちひしがれる師匠の様子が目に浮かんだ。どっと涙が溢れてきた。思いがけず私はいきなりどばーっと感情失禁。

 私は仕事をほっぽり出して、取るものもとりあえずうちを飛び出し、車のエンジンをかけていた。すぐにマルちゃんの家に向かうつもりだった。
 車を発進させてから我に返り「私一人が空身で行って、どうする」とはたと思い直す。お花屋さんに進路を変更。マルちゃんに手向ける花束を買った。

 マルちゃんの家を訪ねると師匠は私の来訪に驚いて、目をシバシバさせながら喜んでくれた。マルちゃんは……、あの真っ黒で丸い炭団のようなマルちゃんは、銀糸の布に包まれた骨壺の中に納まって、晩年過ごした玄関先の敷物の上にいた。

 私は涙を拭き拭き「マルちゃん、よく歩いたね。最後まで頑張ったね」と言いながら花を手向け、師匠はうんうんとうなずきながら鼻を赤くしていた。

 師匠は「散歩に連れて行ったことを後悔している」と言ったけれど、いつも通りに散歩をせがんだのはマルちゃんだし、マルちゃんはきっと師匠と一緒に歩くつもりでいたのだ。気持ちはそうだったろうけれど、肉体がついていけなかっただけ。
 
 「マルちゃんは逝ってしまうその日も、大好きな散歩に出られたのだから」と師匠を慰め、トチのことを思った。マルちゃんはトチとおんなじだ。

 病院に連れて行った後も、家で3時間くらいゼエゼエ苦しがったという。それでも高齢の飼い主さんの手を長く煩わせることもなかったのだから、「傍から無責任に言わせていただくと、マルちゃんは飼い主さん孝行ですよ、師匠」。

 師匠が「1人になってしまったけれど、マルがいてくれたおかげで習慣にできた朝の散歩は続ける」と言ったので、私は「また河川敷に会いに行きますから」と告げて、マルちゃんの家を後にしたのだった。

 またひとつ「いつもの朝」が「思い出」という小箱にしまわれ、遠ざかっていった。さようなら、マルちゃん。またいつか。
コメント (2)
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