私は、社会福祉士であり、身体障害者でもあります。
1981年の国際障害者年以来、「ノーマライゼーション」という言葉が障害者福祉の中で大きな意味を持ってきたと思います。
障害者の社会参加への積極性が高まったのも、この言葉の意味が果たしてきたものではないかと思います。
実は今日、同じ身体障害者として許し難い人を見ました。
それは、家族と行ったレストランでの事です。
私たち家族より遅く入って来たその人は、左下肢(多分膝上からの欠損)障害を抱える人でした。
入って来て言った言葉が「身体障害者だから立っていられない。早く席に案内してくれや」でした。
待っている人(私たち家族を含めて)がいるので、従業員さんは説明し、待合席を案内しました。
するとその人は、今度は「ビール持って来てくれや!」です。
一緒にいた人も同じ感じ…。
障害者である事は、何らかのハンディキャップを抱えているので、少なからず生活は大変です。
でも、だからといってそれを傘にきて上記の言動は常識を逸脱していると、私は思います。
片足が無くたって待つ事は出来る筈です。
事実、その人は両松葉杖で立ってましたから。
長時間立っているのが大変なら、案内されたとおり待合席に座って静かに待っていれば済む事です。
それだけでも十分ワガママなのに、ましてや、「待合席にビールを持って来い」と更なるワガママを平気で言うのは如何なものでしょうか?
その人のキャラクターに起因する部分も多分にあるとは思いますが、
「身体障害者である」事を理由にしている事は許し難い事です。
社会が身体障害者をノーマライゼーションの意味にそって受け入れ体制があっても、肝心の身体障害者がこれでは意味がありません。
余りに気分が悪かったので、「俺は身体障害者だ!」という態度に一言物申したら、その人の連れの人に絡まれました。
この人も身体障害者が社会で生活していく事の本当の意味を理解していないですね。
大事にならないように、私の家族が私を連れてレストランを出ました。
私たちは場所を変えて、気分一新、楽しく食事して来ました。
ノーマライゼーションとは、身体障害者が社会の中で、健常者と分け隔てなく生活出来る環境・考えの事です。
決して、障害者が何を言っても許される社会、「障害者様」ではないんです。
社会の受け入れ体制がまだ発展途上であるとは思いますが、それ以上に障害者自身が自己努力をしていかないと、少なくともそういった気持ちでいないと、本当のノーマライゼーションの考えは実現しないと思います。
私も身体障害者です。
社会福祉士でもあります。
それぞれの立場から、あらためて自分の足元を見直してみたいと思います。
1981年の国際障害者年以来、「ノーマライゼーション」という言葉が障害者福祉の中で大きな意味を持ってきたと思います。
障害者の社会参加への積極性が高まったのも、この言葉の意味が果たしてきたものではないかと思います。
実は今日、同じ身体障害者として許し難い人を見ました。
それは、家族と行ったレストランでの事です。
私たち家族より遅く入って来たその人は、左下肢(多分膝上からの欠損)障害を抱える人でした。
入って来て言った言葉が「身体障害者だから立っていられない。早く席に案内してくれや」でした。
待っている人(私たち家族を含めて)がいるので、従業員さんは説明し、待合席を案内しました。
するとその人は、今度は「ビール持って来てくれや!」です。
一緒にいた人も同じ感じ…。
障害者である事は、何らかのハンディキャップを抱えているので、少なからず生活は大変です。
でも、だからといってそれを傘にきて上記の言動は常識を逸脱していると、私は思います。
片足が無くたって待つ事は出来る筈です。
事実、その人は両松葉杖で立ってましたから。
長時間立っているのが大変なら、案内されたとおり待合席に座って静かに待っていれば済む事です。
それだけでも十分ワガママなのに、ましてや、「待合席にビールを持って来い」と更なるワガママを平気で言うのは如何なものでしょうか?
その人のキャラクターに起因する部分も多分にあるとは思いますが、
「身体障害者である」事を理由にしている事は許し難い事です。
社会が身体障害者をノーマライゼーションの意味にそって受け入れ体制があっても、肝心の身体障害者がこれでは意味がありません。
余りに気分が悪かったので、「俺は身体障害者だ!」という態度に一言物申したら、その人の連れの人に絡まれました。
この人も身体障害者が社会で生活していく事の本当の意味を理解していないですね。
大事にならないように、私の家族が私を連れてレストランを出ました。
私たちは場所を変えて、気分一新、楽しく食事して来ました。
ノーマライゼーションとは、身体障害者が社会の中で、健常者と分け隔てなく生活出来る環境・考えの事です。
決して、障害者が何を言っても許される社会、「障害者様」ではないんです。
社会の受け入れ体制がまだ発展途上であるとは思いますが、それ以上に障害者自身が自己努力をしていかないと、少なくともそういった気持ちでいないと、本当のノーマライゼーションの考えは実現しないと思います。
私も身体障害者です。
社会福祉士でもあります。
それぞれの立場から、あらためて自分の足元を見直してみたいと思います。