気持ちは若いけど、あっという間に60歳を超える年齢になりました。
そして、我々もいつの間にか祖父母と言う名前で呼ばる世代になりました。
一世代上の私の父は94歳(大正8年生まれ)でまだ普通に生活しています。
昨年末, 私の子が名古屋に出張と言う事で久しぶりにお祖父ちゃんの顔を見に行きました。
父は孫が来たので大変良く喋っていました。
孫から「戦争の時は何処に戦争で行っていた?」の質問に、
ロシア国境の近くのスイフンガーと言う地名を言いました。
孫はさっとアイパッドでその場所を探し出して、
その場所の地図を私の父に見せました。
私も初めて聞く外国の地名で
漢字で書くと、綏芬河です。
綏芬河(スイフンガ)は今も本当に中国側で、ロシアとの国境の町でした。
もう65年も昔の話です。
父は浪人して遅れて大学に入り、そして就職してから戦争に行ったので、
戦争に行っていた年数が少なかったようです。
そして運よく終戦の半年前に日本に戻って千葉の稲毛の高射砲学校に入りました。
偶然その場所傍に、4年ぐらい前に私の子供が移り住みました。
転居の連絡をもらった父は、この偶然にびっくりしていました。
私達世代は戦争が終わってから生まれたので、
平和な時代しか知らないで60年経ちました。
それより30年前の我々の親達が生きた世代は、いやでも戦争の為に外国に行かされたり、
みんな大変な波乱万丈な人生を送った人達がたくさんいたと思います。