その昔、関東以北にはエミシ(蝦夷)が住んでいた。その後、14世紀前後になってアイヌ文化が作られたと言われている。(司馬遼太郎著、「街道を行く(オホーツク街道より)」) 私は北海道人であるが、仕事の関係で3年間、青森市に住んだことがある。それだけではない。母方の祖父母は北東北出身で、いとこも青森県に住んでいる。
30年前の話であるが、青森市から約30キロ程度の平内町にアイヌコタンがある。私は幼い時からアイヌコタンを見てきたので、その時はアイヌコタンに似ている程度であったが、後で調べてみると平内町には下北アイヌコタンがあったという。なお、平内という名前の由来は、アイヌ語の“ピラ・ナイ”からといわれており、ピラは崖を意味しナイは川を意味する。
東北人には知人も多く、いろいろな人と交流を持っているが、北海道人と東北人の気質は全く違っている。一口では言えないが、総じて、北海道人は“おおらか”で、東北人は、“こまかい”人柄の人が多いように見受けられる。当たり前であるが、風土の違いによるものだろう。
津軽海峡には、“ブラキストンライン ”というものがある。ブラキストンラインとは、津軽海峡を東西に横切る動物相の分布境界線で、北海道と東北では動物や植物に大きな違いがみられるのである。人間の気質は風土によって作られるので、北海道は寒暖の差が大きいので、北海道人は熱しやすく冷めやすいので、自分自身もそうである。
一方で、様々な人間が全国から入植しているので、その土地その土地の良い文化
を取り入れて、北海道人は合理的に物事を考えることが多い。すなわち、“着眼大局”で、プロ棋士にも山下敬吾九段とか依田紀基九段など着眼大局で物事を考える強い人がいる。
北海道人は本州から来た流れ者が多いことが理由かも知れないが、氏素性にあまりこだわらない人が多いのも特徴だろう。また、青森市に住んで感じたのだが、東北地方にはアイヌ語の地名が多い。それは、津軽アイヌコタンや下北アイヌコタンでも分かるとおり、アイヌが多く住んでいたことによるものである。もっとも、九州の隼人や熊襲もエミシ族(アイヌ)なので、作家の司馬遼太郎氏が言うように、エミシは全国に住んでいたかも分からない。
「十勝の活性化を考える会」会員T
注) ブラキストン線
ブラキストン線とは、津軽海峡を東西に横切る動物相の分布境界線である。
イギリスの動物学者のトーマス・ブレーキストンが提唱した。動物相はブラキストン線を境に北のシベリア亜区と南の満州亜区に分かれる。ブラキストン線は、ツキノワグマ、ニホンザル、ニホンリスなどの北限、ヒグマ、ナキウサギ、エゾシマリスなどの南限となっている。
幕末から明治期にかけて日本に滞在したイギリスの軍人・動物学者のトーマス・ブレーキストンによって提案された。彼は日本の野鳥を研究し、そこから津軽海峡に動物分布の境界線があるとみてこれを提唱した。
この線を北限とする種はツキノワグマ、ニホンザル、ムササビ、ニホンリス、ニホンカモシカ、ニホンモモンガ、ライチョウ、ヤマドリ、アオゲラなどがある。逆にこの線を南限とするのがヒグマ、エゾモモンガ、エゾヤチネズミ、エゾリス、エゾシマリス、ミユビゲラ、ヤマゲラ、シマフクロウ、ギンザンマシコ、クロテン、ナキウサギなどである。また、タヌキ、アカギツネ、ニホンジカ、フクロウはこの線の南北でそれぞれ固有の亜種となっている。
函館山山頂にはブレーキストンの碑が設置されており、碑文でブラキストン線発見の功績が紹介されている。
津軽海峡を挟んだ動物相の違いは、最終氷期に北海道は樺太、千島列島を通じてユーラシア大陸と陸地で繋がっていたことに対して、本州は朝鮮半島を通じて大陸と繋がっていたことに起因すると考えられている。ただし、最終氷期において津軽海峡が陸続きであったかについては諸説ある。過去の大陸との繋がりに加えて、最深部が449 mと深く、現在の最短距離が19.5 kmあり、潮流も強いという津軽海峡の性質が動物の行き来を妨げていると考えられている。
(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)