先日、小坂洋右著「大地の哲学~アイヌ民族の精神文化に学ぶ~」の本には、以下のことが書かれていたので紹介したい。小坂洋右氏は、東京電力福島第一原発事故に関して、記者の立場から日本社会に警鐘を鳴らしていた。
『(前略)福島の原発事故は当初、想定外の天災が原因とされた。しかし、事実は違っていた。大地震や津波の可能性は前々から専門家によって指摘されていた。
しかも東京電力は、事故二年半前の二〇〇八年九月十日に福島第一原発内で行なった社内会議で、「(政府機関の地震・津波予測の)知見を完全に否定することは難しい」として、「現状より大きい津波高評価せざるを得ないと想定され、津波対策は不可避」と記した資料を配布していた。
つまり、福島第一原発を襲う津波を明確に認識していたのだ。認識しながら、対策らしい対策はなにも取っていなかった。要は自然をなめてかかり、暮らしを営んでいる周辺住民の安全を軽視していたのである。
それはひと言でいえば、「畏れ」の感覚の喪失にほかならない。人間が束になってもかなわない、はるかに上回る力で襲いかかってくる自然の脅威を侮っていただけでない。科学技術に奢り高ぶり、言い換えれば、人間を過信していたのからこそ、事故は起きた。』
(中略)
『私たちがこの地球の自然環境と共に未来へと持続していくためにも、東日本大震災と福島第一原発事故が起きた「3.11後」に築くべきエコロジー社会への道筋を示さなければ、この国、この地球は危ういのではないか。そう思ったのは、私だけではなかったろう。示されるべき道筋は、日本社会が欠いているものの裏返しである。奢りを排し、自然や科学技術に対する畏れを取り戻すこと。この大地に共に暮らす多種多様な生き物、命とのつながりを意識しながら生きること。そして、未来世代のことを考え、持続性を大事にすること、大きくその三つに集約される。』
(中略)
『英国は世界で最も多くの植民地を獲得した時代があり、文字どおり日の沈むことのない大帝国を築いたが、植民地経営の負担がいつしか利得を上回るようになり、撤退を余儀なくされた。国家の拡大を限りなく求めていけば、どこかで無理がかかり、衰退を免れない先例とみなすべきである。
では、資源が乏しいがゆえに技術立国で戦後、米国に次ぐ世界第二位の経済大国にまでのし上がった日本はどうだろう。 決定的だったのはやはり、福島第一原発事故だった。それは日本が高い技術力を持ちながらも、何にどう使うべきか、科学技術でできることとできないことは何か、科学技術が完全にコントロール下に置かれているとは限らず、ときにリスクを伴うものだといった倫理や科学哲学、リスク社会学の基盤を決定的に欠いていたことを内外に示す結果になってしまった。
最悪レベルの原発事故を起こしたにもかかわらず、誰も責任を取らず検証も反省も出来ないでいることが、対外的な信頼をさらに低下させるのも避けられまい。このままいけば、ビジョンや哲学なきまま、目先の利益だけを追求する薄っぺらな風潮がますます嵩じ、足元が揺らいでいくのが目に見えている。いずれの国も一時は隆盛を極めたものの、その繁栄を継続させることが出来ずに今はもがき苦しんでいるように見える。
現代文明は、国単位の問題だけではない。世界各地で環境汚染が繰り返され、地球規模の温暖化を引き起こし、人が人を搾取し格差を助長し、破綻の淵を綱渡りしながら金融市場や多国籍企業が国境を越えて膨らんでいく。
現代と呼ばれる時代は、戦後の七〇年を含めてたかだか百年ほどで、産業革命からの歳月を数えても二五〇年ほどにしかならない。一万年の長きにわたって一つの文化を持続させた縄文時代や、一万数千年前に新大陸に到達した人々が保ってきた部族社会と比べると、私たちが生きているこの現代は間違いなく、より一層先行きが見通せない消費や疾走型、疲弊型、そして環境破壊型の社会・経済に陥ってしまったと言える。(後略))』
人災といえる福島第一原発事故、そして地球温暖化がひとつの原因ともみられる新型コロナ禍。この二つは、日本に何を残したのだろうか。いろいろとあると思うが、私には、東京一極排除、②リモートワークの2点が重要である。
人口減少が進んでいる北海道にとっては、新型コロナ禍によって地方への移住促進がはかられプラス材料も多い。おかげで、岐阜県と同じ広さを持つ十勝は、14振興局の中では札幌圏に次いで人口減少率が少ないのである。
その理由は、十勝が日本の食料基地と言われるように食料自給率が高いこと、“フードバレーとかち”と言われるように土地が肥沃なことである。それから、全国各地(11個所)に住んだ経験から思うのであるが、四季がはっきりしており北海道の中でも、一番に北海道らしいところだと思うからである。
ただ、気になることがある。先日、三宅民夫のマイあさ!で「どう生き残る?テレワーク時代」を話した荻原充彦氏(無料送金アプリ運営企業代表)が、テレワークで企業の生産性が低下していることを危惧していた。一人当たりの生産性が低下するということは、日本のGDPが下がることを意味するので、働き方改革にはつながらないことを意味している。働き方改革を達成するためには、お互いがひざとひざを突き合わせるとか、相手の顔を見ながらZoomで議論することが必要なことも語っていたのが印象的であった。
「十勝の活性化を考える会」会長