“温故知新”とは、言うまでもなく過去に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を自分のものにすることである。「暮しの手帖」の編集長を務めたていたエッセイスト 松原弥太郎氏は、“なかったら困る物に気づくこと”、“自分の役割を発揮すること”が大切だと語っていたが、温故知新と同様に重みのある言葉である。
話は変わるが、先日、スエズ運河が大型船の座礁で通行不能になり、世界の物流が一時的にストップしたが、このことにも同じようなことが言える。通行不能になって初めて、スエズ運河のありがたみが分かったので、このようなことは、周りを見渡せばたくさんあるのかもしれない。
私は脳出血の体験を自費出版し、その中で“同じ環境に置かれなければ、その人の本当の気持ちは分からない”と書いたが、間違っていなかったと思う。すなわち、脳出血の後遺症で身体が不自由になり自分一人では生きられなくなり、伴侶のありがたみや他人のありがたみが分かってきたのである。
人間は、同じ環境に置かれないとその人の気持ちが分からないのである。知人に難聴者がいるが、その方は盲目者に対して特に親切に接するが、盲目者の苦労を知っているからだろ。自分がイジメられた経験をすると、イジメられた人の気持ちが分かってくるのである。中学生の時、クラス全員が集まってある人を集団リンチした思い出があるが、今のような陰湿なイジメでなかったような気がする。そのイジメであるが、実は “差別”のひとつだと思っている。
差別とは、人に“差”をつけ、自分とは “別”の存在(グループ)として一種の排除をすることである。人間には能力や外見など合理的あるいは非合理的な様々な違いや差があることは否定できないが、大切なことは、その事実を認めたうえで、その違いや差によって人を排除しないことである。
アイヌ民族は、文化や生活習慣の違い等の非合理的な理由により長らく差別を受けてきた。そして、残念ながら今も差別はあると言わざるを得ない。現在、自然環境の悪化が大きな問題となっているが、アイヌ民族は、自然を大切に自然と共生しており、私たちはその文化や生き方を学ぶべきであると思う。
そうしたことを通してアイヌ民族の理解が進めば、アイヌ民族に対する私たちの見方も変化し、差別解消に繋がるハズである。参考までに、アイヌの天才少女である知里幸恵さんは 「アイヌ神謡集」に、次のように書いているので紹介したい。
『その昔、この広い北海道は、私たちの先祖の自由な天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼らは、真に時代の寵児、何という幸福な人たちであったでしょう。
(中略)
その昔、幸福な私たちの先祖は、自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変わろうなどとは、露ほども想像し得なかったのでありましょう。時は絶えず流れる、世は限りなく発展していく。激しい競争場裡に敗残の醜さをさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強い者が出てきたら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがて来ましょう。それは本当に私たちの切なる望み、明け暮れ祈っていることで御座います。
けれど、愛する私たちの先祖が起き伏す日頃、互いに意を通ずるために用いた多くの言葉、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消え失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい、名残惜しいことで御座います。
アイヌに生まれ、アイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵、雪の夜、暇あるごとにむち打って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中、極く小さな話の一つ二つを拙い筆に書き連ねました。私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事ができますならば、私は、私の同族祖先と共に本当に無限の喜び、無上の幸福に存じます。』
「アイヌ神謡集」を読むと、“日本社会がどうあるべきか”、“どう変わっていくか”、“どういう希望のもとにあるべきか”、などを教えてくれる。この先どのような社会ができるのかは誰にも分からないが、選択可能な未来は、私たち一人ひとりが持っているということである。基本的人権は平等に認められているのであるが、その底に横たわっているアイヌの差別を排除すること、これが今の日本の課題の一つである。
「十勝の活性化を考える会」会員T