長崎大学教授 山本太郎氏が “パンデミック後の未来を選択する”と題して、月刊誌2020年7月号「世界」に以下の投稿文を載せていたので紹介したい。
『パンデミック後に時として出現する新たな社会は、独立した事象として現れるわけではなく、歴史のなかで起こる変化を加速するかたちで表出する。14世紀のペスト流行の時も、16世紀南北アメリカでの感染症流行の時もそうだった。さらにいえば、1918年のスペイン風邪流行もそうだったと思う。流行後の世界は、新興国アメリカの世界史の舞台における台頭だった。アメリカは、その後、世界の政治や経済の中心になっていく。新型コロナウイルス感染症の流行が今後どのような軌跡をとることになるのか、現時点で正確に予測することはできない。ただ流行が拡大し、まん延すれば、あるいは、新型コロナウイルス感染症と異なるが致死率の高い感染症が今後流行すれば、私たちは、私たちが知る世界とは異なる世界の出現を目撃することになるだろう。それが、どのような社会かはもちろんわからない。
しかしそれは、14世紀のペスト流行時のように、旧秩序(アンシャンレジーム)に変革を迫ることになるかもしれない。そうした変化は、流行が終息した後でさえ、続く。後から振り返れば、世界の秩序の転換点だったということになったとしても不思議ではない。
繰り返しになるが、感染症は社会のあり方がその様相を規定し、流行した感染症は時に社会変革の先駆けとなる。そうした意味で、感染症の汎世界的流行はきわめて社会的なものになる。その時代、時代を反映したものとして、という意味であるが・・・・・・。歴史が示すひとつの教訓かもしれない。
(中略)
社会がどうあるべきか、どう変わっていくか、どういう希望のもとにあるべきか、というのは、一人ひとりの心の中にしかない。それが合わさって、未来への希望につながる。言葉を換えて言えば、選択可能な未来は私たちの中にしかないということかもしれない。(後略)』
今年、平和の祭典である東京オリンピック・パラリンピックが開かれる予定で、3月25日、国内では福島を皮切りに聖火リレーが始まった。一方、世界では脱炭素化社会を目指して動き始めたので、この脱炭素化社会に日本がどうあるべきかを世界に示すチャンスでもある。既述した山本教授の投稿文にも書かれているように、感染症によるパンデミックは、今後も起こる可能性が高いので、人類がどのような地球をめざしていくのかが問われていると思う。
ところで、個人的なことで恐縮だが、父親の17回忌で200キロ離れた石狩市(人口約6万人)の兄の家に行く予定であったが中止した。コロナ感染を恐れたためである。兄の家は高速道路インターから近い所にあり感染の恐れはないと思われたが、絶対ではない。各自がこのように自粛しないと、感染は終息しないのである。
一方、地元新聞によれば、十勝川温泉にあるTホテルが3月に事業停止して事実上倒産した。従業員が17名と書かれていたので、影響を受ける人々の数は限りなく、地元経済へも打撃も大きく、ホテルが所在する町長が懸念を表明していた。私にとっては、地元中学校のクラス会の開催、小学校の時には遠足で利用したホテルであり思い出は尽きない。
また、「暮らしの手帳」編集長を務めていたエッセイスト 松原弥太郎氏は、「なかったら困る物に気づくこと」、「自分の役割を発揮すること」が大切だと語っていたが、このホテルもまさにそのとおりである。この先、どのような社会ができるのかは誰にも分からないが、各々の希望が合わさって未来への希望につながる。言葉を換えて言えば、選択可能な未来は私たちが持っているということかもしれない。
「十勝の活性化を考える会」会員T